市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾

                              
西 山 俊 彦

              「バブルの発生」も「バブルの崩壊」も、日本のあまりの対米従属によると
              言われますが、ホントでしょうか ?
       
−グローバル・スタンダードの普遍性(2)ー          

       

 大阪カトリック正義と平和協議会『いんふぉめぃしょん』No.126、 2000.2.20、 4-5頁。

           

 バブルがハジケてほぼ10年、まだ“平成不況”は張り付いたままですが、「バブルの発生」も「その崩壊」もあまりの対米従属に起因すると言われます。とすれば“平成不況”も同様となりますが、これから数回に分けてその実態を吟味したく思います。
 先ず「バブル‐水泡‐」とは「金融の超緩慢によりダブダブにだぶついたカネが土地および株に集中的に投下され、地価と株価の異常高を招いたこと」(1) に他なりません。そもそも事の起こりは R.レーガン大統領(1981-1989)が採用した「レーガノミックス」にありました。米ソ対決たけなわの頃、「小さい政府」と「市場万能主義」の原則を掲げ、「大幅減税」「福祉削減」を図って「経済の活性化」と冷戦勝利の「軍備大増強」を実現する政策でした。(2)   結果は、減税により消費は拡大、景気は上昇したものの、輸入の増大によって経常収支 (3) は大幅赤字を記録し続け、財政収支も改善されませんでした。アメリカの対外純資産は1980年には4000億ドルあったものが、毎年1000億ドル台の経常赤字を続けた結果、世界一の対外純負債を抱える国となりました。日米貿易での米国の大幅入超と日本の大幅出超とを組み合わせてみれば、本来であれば、ドルは円に対して切り下が(り、その結果、米国の日本への輸出は伸び、輸入は減って、貿易収支は新しい為替レートで均衡す)るはずのところが、米国の入超と大幅赤字、日本の出超と大幅黒字が累積して行きました。実力以上の「強いアメリカ」を実現するために生じた「双子の赤字」をファイナンスしたのがジャパン・マネーで、そのための装置が米国の「高金利」と日本の「低金利」政策で、この金融超緩和策が80年代後半の日本に未曾有の「バブル景気」をもたらしたという訳です。とにかく 81-85年間の累計で日本は経常黒字1200億ドルの約半分を長期国債取得の形でアメリカに環流させ、(4) これは毎回の国際入札の 3〜4割を占めておりましたが、(5) この環流は P.F.ドラッガーによって次のような「新しい現実」と理解されました ― 
 [新しい現実 −その(1)−] 「世界の金融史上、アメリカは、自国通貨によって対外債務を負う最初の
 大債務国である。アメリカの主要債権国(同時に最大の対米貿易黒字国)である日本と西ドイツの通貨
 に対するドルの50%下落は、両国の保有する膨大なドル資産の価値を見事に半減させた。しかしそれに
 それにもかかわらず、日独両国、およびその他すべての対米債権国が、アメリカに資金を投入し続けた。
 アメリカの国債を購入することによって財政赤字を支えたのである。」
 [新しい現実 −その(2)−] 「やがてそれらの対米債権国は、金融資産を実物資産に転換するように
 なった。 ・・・ まず、イギリスとカナダから始まり、ドイツが従い、最後に日本が続いた。いずれの国も、
 ドルの減価によって割安となったアメリカの企業や不動産を買い始めた。・・・ これこそまさに、経済理
 論によれば、それらの国が行うにちがいないことであり、さらには行わなければならないことだった。
  それにもかかわらず、それらの投資、とくに日本の投資は、アメリカにおいて(非難の対象として)
 マスコミその他で大きく取り上げられることとなった。」 (6)
なぜこのような事実が「新しい事実」とされるかは、従来の経済理論からも経験からも予測できないことだからで、(1)については、アメリカ側からすれば、「双子の赤字の増大」、その穴埋めのための「資金の大量の導入」であり、それを可能とする「高金利政策の継続」でした。日本側からすれば「低金利政策の維持」であり「米政府国債の大量購入」ですが、大幅な減価の予測される国債を大量に購入し続けることは経済原則とは正反対の行動であるからで、バブルがハジケるとともに今日迄尾を引く“平成不況”の一因となりましたが、対米資金の環流のために購入を奨励し続けたのは、事もあろうに、日本の大蔵省の行政指導でした。(7)「新しい現実」のその(2)も、やはり、経済理論とは別の次元の反応です。ドラッガーが指摘するように「実物資産への転換が経済原則によって行われなければならないこと」なら、三菱地所がロックフェラー・センターを取得してもソニーがコロンビア映画を買収しても何ら非難されるところもないはずなのに、「アメリカの魂を買った」と“黄禍論”まがいの非難の対象となりました。
 具体的事実の紹介が不十分な本稿の時点で既に「グローバル・スタンダード -GS- 」の性格がかなり浮彫りになっていることを指摘しておかねばなりません。そもそも「フリー」「フェアー」「グローバル」な原則とされるGSは「市場原理(至上)主義」(8) の別名です。「需給関係」とか「利潤極大化」「最大多数の最大利益」のような原則を「市場 Market」に固有な原則とみなし、「市場がすべてを決定すれば、最大最良の結果が得られる」という信念(9) のことで、これが動かし難い「経済原則」であるとして、いつでもどこでも遵守しなければならない“普遍的原則 -GS- ”と主張されます。ところが、今回紹介したどの事実にも「市場自体の決定」に類するものなど一切ないことは明らかです。ドルという基軸通貨の存在が「市場の要請」などでないことは勿論、「レーガノミックス」のどの政策が同様と言えるでしょうか。もし「レーガノミックス」が「市場の決定」などと言うのなら、「軍備大拡張」は問答無用、神聖不可侵な「経済原則」に奉られてしまいますし、日本の対応も対米従属以外に他の選択肢を許さないものになってしまいます。経済的であれ、政治的であれ、他の凡ゆる社会事象同様、アメリカの繁栄も日本の窮状も、人間主体の関与と無関係なものはありません ― しかもそれらの殆どは恣意的、強権的介入にすぎなくても ― 。 たとえ「最小コストで最大のリターン」という経済原則があったとしても、それは誰にとってそうなのかを問えば、殆ど常に強者強国にとってのものにすぎず、決して万人に当て嵌まるものでないことは明瞭になるはずです。 「東西間の軍事的対決」も「自由主義陣営の経済的協調」もその中味は「存立を懸けた熾烈な戦い」(10) であって、ただGSとは「隠れた戦争」(11) をオブラートで包んだだけの強者の強権(12)でしかないことは、徐々に明らかになる予定です。

 

【註】

(1)

 

飯田経夫・水野隆徳『金融敗戦を超えて』東洋経済新報社、1998、p.59。

(2)

 

この政策を、共和党で大統領候補を競った後のG.ブッシュ大統領は「減税によって増税できるというのは、ブードウ教の
おまじないのようなもの」と揶揄しました。吉川元忠『マネー敗戦』文芸春秋、1998、p.38。

(3)

 

「貿易収支」に「サービス・所得・経常移転収支」を加えたもの、『経済辞典』有斐閣、1971。

(4)

 

吉川元忠『前掲書』、1998、p.54。

(5)

 

吉川元忠『YENは日本人を幸せにするか』NHK出版、1997、p.36;吉川元忠『前掲書』、1998、p.44。

(6)

 

P.F.ドラッカー『新しい現実』ダイアモンド社、1989、pp.170-171。

(7)

 

大蔵省の言う「日本が米国債を購入しなければドルが暴落する、そうすれば一番困るのは日本ではないか」(吉川元忠『経済覇権 −ドル一極体制との訣別−』PHP研究所、1999、p.29)という論理は「自分の国の経済を混乱に陥れて、対米協力」(飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、p.66)に励む米国一辺倒の論理であって、だから大蔵省は「アメリカ財務省日本局」(石原慎太郎『戦線布告「NO」と言える日本経済』光文社、1998、p.152、他)と揶揄されることになります。詳細後述。

(8)

 

佐伯啓思「グローバリズムという虚構」、『「アメリカニズム」の終焉』TBSブリタニカ、1998、pp.283-343
「グローバリズムの幻想」、『ケインズの予言−幻想のグローバル資本主義(下)』PHP研究所、1999、pp.113-156
金子勝『反グローバリズム』岩波書店、1999、p.27。

(9)

 

飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、p.153。

(10)

 

金子勝『前掲書』、pp.20-28。

(11)

 

吉川元忠『前掲書』、1997、p.9。

(12)  

佐伯啓思『前掲書』、1998、p.19 他。

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