市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾

                              
西 山 俊 彦

   

                    「日米構造協議」は、バブル崩壊を狙ってアメリカが仕組んだもの、
        と言われますが、ホントでしょうか?
     
-グローバル・スタンダードの普遍性(4)−    

     

 大阪カトリック正義と平和協議会『いんふぉめぃしょん』No.128、 2000.4.20、 8−9頁。

 

 これ迄、資金の対米環流を促し、ドル体制を支えるために、日米政府がどれほど活躍したかを見てきました。そのための超低金利策、未曾有の金融緩和策が、バブル経済を結果し、日本中が湧きに湧いていたのですが、それは土地と株式の暴騰によるものでした。85年12月に最高 1万3129円だった株価が89年末には 3万8915円を記録、「87年には、東京市場に上場している株式の時価総額がニューヨーク市場を上回って、東京市場は世界最大のマーケットになり」(1) ました。「金融法人が87年からの3年間に株式などであげた評価益は 205兆円、当時のドル換算で 1兆5000億ドルにも達し」(2) ました。「85年以降株式にやや遅れて急騰を始めた土地はと言えば、90年にピークをつけるまでの累積キャピタル・ゲインが、株式のそれを大きく上回る 1420兆円、90年のGNPの 3.3倍に達する規模、日本の土地資産額は90年末で 2400兆円、これはアメリカ全土の土地資産額の約4倍に相当する」(3) ものでした。湧いていたと言うより、ウカレにウカレていた訳ですが、それがウカレであったとは政策決定の中枢にいた政府・日銀のエリート達さえ気付いていないほどでした。当時日銀理事だった管野明全国銀行協会連合会専務理事も
  「株が高いのは東京市場が見直された証拠、・・・ 土地の評価も、オフィスビル需要など、土地の生産性
 が高まった結果であり、それは日本経済への評価が見直された結果に違いないと感じた。いま思うと恥
 ずかしいし、自分も間違ったが、二年三カ月のうち最初の一年半くらいはそう信じていた。」(4)

と語っています。でもこれが錯覚でしかなかったことは明らかです。確かに、「86〜89年のバブル全盛期の年平均上昇率を比較すると、消費者物価はわずか 1%の上昇、卸売物価は何と 1%の下落だったのに対し、株価が32%、地価が23%の上昇でした。」(5) そもそも「80年代末の時点で、アメリカのそれが約25%にすぎないのに対し、日本の土地は国富総額の約70%を占める迄になっていた」(6) とは、最早ウカレではなく異常でした。なぜジャパン・マネーは米国国債だけでなく企業・不動産買収ができるのか、なぜアメリカ企業のそれが5〜8%であるのに対し、日本企業の資金調達コストが平均 2%であり、邦銀に網をかけた「BIS 規制」をいとも簡単にクリアしてしまうのか、アメリカの双子の赤字国への転落とともに世界最大の債権国日本が、「悪の帝国」ソ連に代わる、脅威の対象となりました。J.ファローズ等の日本異質論、「日本封じ込め」論の台等ですが、これを飯田経夫は
  「1980年代末に共産主義はマイナー勢力に後退し、ソ連の崩壊は、完全にアメリカの軍事的優位を確立
 した。そこで残った敵はどこかというと、経済大国日本ですよ。日本の経済力、金融・資本力、技術力。
 これがアメリカの最大の敵として浮上してきたんです。いかにして日本を叩くか、アメリカはそれをこ
 こ十年間考えに考え、戦略を練り、着々と実行してきたと思いますね。」(7)
とコメントします。貿易不均衡の是正、内需拡大を目指して日米が構造問題を話し合う場として設けられたのが、1989年秋に始まった「日米構造協議」でしたが、そのお目当ては“公正な競争”を阻害している元凶、ジャパン・マネーの源泉である株高、土地高でした。日本側はアメリカの貯蓄不足には形だけは触れたものの、双子の赤字、ドルの基軸性、ヘッジファンドによる投機的資金移動等を取り上げた形跡はなく、新聞報道による限り声高だったのはアメリカ側ばかりで、(8) 微に入り細に入り俎上に上ったのは、日本の株式市場関係では、系列などの閉鎖的取引慣行、企業間の株式相互持合制による安定株価構造、等の高株価成立条件でした。「土地戦略ノート」を準備して迫ったと言われる土地問題については、開発規制による都市近郊農地の利用不足、国民の土地保有志向の根強さとこれを助長する税制のあり方など、土地高のメカニズムを瓦解させるものでした。勿論これらの“構造的歪み”を肯正する公式の理由は、日本の金融制度の喉元を締め上げアメリカの国益を伸長させるためであろうはずはなく、「日本国民の生活水準を向上させるため」(9) でしかなかった訳で、このアメリカの提案は「日本国民の土地政策への不満と一体となって『激しい土地バッシング』につながり」(9) ました。
 それでは「日米構造協議」は何をもたらしたのかというと、内需拡大によって経常黒字の縮小を企るために(10) 日本は、10年間に 430兆円の公共投資を対米公約し、これが財政破綻へとつながって行くことになりましたが、(11)  一層決定的だったのは「90年初めからすでに下落の始まっていた証券市場の不安感を高め、崩落を加速させた」(12) ことでした。「90年に入っての 株価急落には、米大手証券の活発な裁定取引があった」(13) とか、「バブルのピークから崩壊期にかけての東証ダウの3回の暴落にはソロモン・ブラザーズがからんでいる」(14) と言われます。高地価、高株価は評価高、所詮、アブクにすぎません。「評価高」は、評価が変われば、一気に「評価損」の奈落へ真っ逆さま、後には不良債権の累々たる山が残り、

                                           アブク
その処理が終わる迄不況が続くというものです。恐ろしいことです。現代資本主義の世界では、泡のよう
  カネ               モ ノ
な「虚の経済」が「実体経済」を左右してしまうのですから ―

 大蔵省発表(98年1月)の不良債権額が 76兆7080億円だったのに対し、『ニューヨーク・タイムス紙』(98年7月30日)の推定は 1兆ドル、約140兆円、大蔵省発表の何と1.8倍です。世界最大の債権国がバブルの形成・崩壊・長期ドン底不況に喘いでいるのは対米追従一辺倒の無策のなせる業であるのに対し、世界最大の債務国が空前の活況を呈しているのはその金融戦略にあると言われます。(15) 真偽の確認は容易なことではありませんが、日米経済の現況が作為なき経済原則の結果などでないことだけは確かです。

【註】

(1)

 

飯田経夫・水野隆徳『金融敗戦を超えて』東洋経済新報社、1998、p.62。

(2)

 

吉川元忠『マネー敗戦』文芸春秋社、1998、p.84。「1兆5000億ドルのバブル益は、アメリカの財政赤字の10年分に相当
する」(同、pp.84-85)額で、より一層莫大な土地の評価益とともに、これが対米環流の原資となりました。

(3)

 

吉川元忠『前掲書』、p.110。

(4)

 

岸宣仁『賢人たちの誤算−検証バブル経済−』日本経済新聞社、1994、p.53
飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、p.64。

(5)

 

岸宣仁『前掲書』、p.54。

(6)

 

吉川元忠『前掲書』、p.110。

(7)

 

飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、p.80。

(8)

 

「構造協議中間報告の要旨」、『読売新聞』(夕刊) 1990・4・6、(3)、他。

(9)

 

吉川元忠『前掲書』、p.114。

(10)

 

アメリカの年間経常赤字額500億ドルを日本の内需拡大でゼロにすることを唱った「前川レポート」(1986・4)は、日本の
名目成長率32%。金額で83兆円、又は、毎年30%近い猛烈なインフレを起こさなければ達成できない課題でした。
飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、pp.85-89。

(11)

 

「630兆円もの巨額公共投資をアメリカに約束していた日本」、石原慎太郎監『国家意思のある「円」』光文社、2000、
pp.90-97。

(12)

 

吉川元忠『前掲書』、p.114。

(13)

 

吉川元忠『前掲書』、p.121。

(14)

 

飯田経夫・水野隆徳『前掲書』、pp.112-113。

(15)

 

石原慎太郎『前掲書』。

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