市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾

                              
西 山 俊 彦

      日米経済関係は、日本の対米一辺倒どころか、もはや日本は米国の占領下になって
      久しいと言われますが、ホントでしょうか              
−グローバル・スタンダードの普遍性(5)ー                                                        

   

 大阪カトリック正義と平和協議会『いんふぉめぃしょん』No.129、 2000.5.20、 6-7頁。

           

 これ迄に「バブル経済はウォール街を安定させ、日本マネーの対米資金環流を続けさせるための日米金利差によること」を見続けてきました。世界最大の債権国である日本が長期不況を脱出できず、世界最大の債務国アメリカが長期繁栄を謳歌しているのも金融政策のあるなしによると言われますが、それを裏付けているのが日米政治力の差であると言わねばなりません。(1)
 東京で開催された「G7・先進7カ国財務次官会議」直後に香港の有力紙『ファー・イースタン・エコノミック・レヴュー ‐FEER‐』(2) (1998・7・2)は特集を組んであの「歴史的写真」 を載せました。敗戦直後(1945・9・27)、昭和天皇がGHQに最高司令官D.マッカーサー将軍を訪ね、連合軍の権威を認め日本国民には恭順を専らとするよう範を垂れた象徴的写真ですが、『FEER』紙が例の写真を掲げた理由は、“バブルの崩壊”以降の日本の経済的苦況を「第二の敗戦」に喩えたからで、この際にマッカーサーを演じたのは来日中(1998・6・18-28)のL.サマーズ財務副長官で、解説には「日本は1997年7月以降通貨危機に見舞われたアジア諸国と同じように、現在、経済的には占領状態に置かれており、これからはアメリカ財務省がGHQよろしく日本の銀行を監督する状態が続く」(4) と記しました。G7で円安不況の改善のためにドル安誘導を懇請した日本側に、サマーズが提示した処方箋は、勿論、一層の金融緩和、規制緩和による内需拡大と10兆円の恒久減税という「市場主義」の徹底でした。
 そもそも事の起こりは“不公正貿易の是正”と“アメリカ経済の再生”を掲げたクリントン政権の登場にありました。大統領は就任早々「日本は敵」とみなしたり、日米首脳会談に当っては「日本の黒字削減には円高が有効」(1993・4)と異例の発言をして、クリントン政権が基本的に円高を望んでいることを示しました。「日本の黒字が世界の成長を阻害している」とのベンツン財務長官の発言(5) をも受けて、円は93年初めの1ドル=120円前後から8月には100円すれすれ迄切り上げられました。94年2月の「日米貿易
包括協議」が不調に終わると、クリントン大統領は「貿易戦争」を宣言し、円は再び揺さぶられますが、円高とともに、ドルの全面安へと展開し、日米両通貨当局によるドル買い協調介入が実施されます。ところが94年7月のナポリ・サミットで為替安定策が打ち出されなかったことから円は再び急騰、95年4月には、ついに80円を割り込む事態となりました。吉川元忠の評価によれば・・・
  「クリントン政権の円高攻勢は、基軸通貨国の為替市場に対する特権的な影響力を背景に、ドル自身の
 暴落を回避しつつ、慎重かつ大胆に進められたといえよう。その結果はといえば、成功であったという
 ほかはない。」(6)
もっとも以上の政策を実行して行くためには自由自在な為替操作が可能となっていなければならず、(7) 市場メカニズムにまかせていて自然に実現するはずもありませんが、クリントンの経済戦略についてのブレーンの一人、MITの P.クルーグマンの「円高攻勢」はもっと凄い狙いを持ったものでした。彼の『為替戦略理論』によると
  「日本に圧勝するには、いったん過度の円安にして、それから戻す。過度の円高(ドル安)になると、・・・
 日本の生活基盤が破壊されるので対米輸出がやむ。こうして日本の輸出基盤を破壊すれば、貿易収支の
 均衡化につながる。そのあとで相対的なドル高に戻せば、日本などからの対米資金流入はいったん細っ
 ても再び回復し、ドルの一方的暴落は避けられる。」(8)
というものでした。吉川元忠は続けます ―
  「プラザ合意前の250円から80円まで、10年に及ぶ円高の波に振り回されて、日本経済は甚大な打撃を
 受けたわけだが、1ドル=80円を待たず、バブル崩壊後の90年代に入ると、円高によるダメージは一気に
 顕在化した。対米資産の大幅な減価に加え、円高によって生じた生産コストの歴然たる格差がモノ作り
 部門を直撃するのである。これに対してアメリカは、円高によって失うものは何もなかった。為替市場
 を味方に、辛くもドルの暴落の危機をすり抜けて、未曾有ともいえる長期の景気拡大を続けることにな
 る・・・『日米再逆転』(の完成)です。」(9)
市場メカニズムに行方を託せると口では言いながら実際は戦略のあるなし、政策の適否が長期にわたる好況不況を左右してきた事を物語る事例はまだまだ沢山ありますが、それでは「マネー敗戦」による日本の損害はどれ程になるかと言えば、それは第二次大戦時における日本の物的被害に勝るとも劣らない、と言われるから驚きです。先ず、バブル盛況期に営々と山積みされた不良資産が挙げられます。あく迄推計でしかないものの、バブル崩壊による評価損は「土地などの再生不可能な有形資産で379兆円、さらに株式で 420兆円、両者の合計約800兆円は国富の11.3%に相当する額、第二次大戦における日本の物的損害は国富の14-15%であったと推計されるから、それにほぼ等しい額である。まさにいま一つの『敗戦』がマネー経済を戦場として起こったのである。この推定は89-92年間についてのものであって、その後地価や株価はさらに下げ続けたことを考えると、『損害』はさらに膨らんでい」(10) ます。
 「マネー経済」の領域でのバブル崩壊以降の3ヵ年に限った損害だけでこれほどの額と見積もられます。この他に“究極の不良債権”(11) と言われる米国財務省債権等のドル資産、毎年10兆円にはなるはずの利子所得がゼロ金利政策によって消滅すること、「モノ経済」への波及としては、消費低迷による経済全般の不活性化、リストラ・失業・生活不安 ・・・ とデフレ・スパイラルと断じてよい『損失』が並びますが、中でもニクソン・ショック以降の為替差損は膨大です。
 戦略の存否が分水嶺という事は(12) “市場経済”は、決して、自由放任主義の結果ではない事を意味します。今日の夕刊 (2000・4・14)は「日本のゼロ金利解除に前向きの方針」と速見日銀総裁の見解を伝えていますが、同時に「世界経済にリスク」と間髪を入れないサマーズ財務長官の批判も報じています。「日本はまだまだアメリカの占領統治から ・・・ 独立をはたしていない」(13) のは本当です。 

 

【註】

(1)

 

吉川元忠『経済覇権 −ドル一極体制との訣別−』PHP研究所、1999、pp.125、127。

(2)

 

“Big Man in Tokyo. The U. S. puts its stamp on Japan's economic policy −but can Lawrence Summers succeed where Ryutaro Hashimoto failed ? Far Eastern Economic Review. July 2, 1998,18-19。

(3)

 

掲載された写真は、なぜか、日本で公表されてきたものに較べて、天皇の姿勢がヘッピリ腰になっています。
読売新聞社編『20世紀・どんな時代だったのか・日本の戦争』読売新聞社、1999、p.324参照。

(4)

 

吉川元忠『マネー戦略』文芸春秋社、1998、p.154。

(5)

 

吉川元忠『前掲書』、1998、p.12。

(6)

 

吉川元忠『前掲書』、1998、p.13。

(7)

 

吉川元忠『前掲書』、1997、pp.78 ; 64 ; 11。

(8)

 

吉川元忠『前掲書』、1999、pp.10-11。

(9)

 

吉川元忠『前掲書』、1998、p.130。

(10)

 

吉川元忠『YENは日本人を幸せにするか』NHK出版、1997、p.208。

(11)

 

吉川元忠『前掲書』、1998、p.11。

(12)  

寺島実郎「米国追わずモノづくりを」、『朝日新聞』「新世紀を語るF、第2章情報革命」2000年5月1日 (1)(23)。

(13)

 

石原慎太郎『宣戦布告「NO」と言える日本経済』光文社、1998、p.183。

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