西山俊彦 著

フリープレス 2003年4月30日刊

 


   推薦のことば      カトリック社会問題研究所・前代表幹事 酒井 新二氏 より


 これは現代の社会、経済、政治、外交問題についてカトリック的、福音的視点から常に鋭い論述を続けている西山俊彦師の最新の著作である。本書は特に9・11同時多発テロ以後の国際情勢に焦点を当て、「唯一の超大国」アメリカの「グローバリズム」と「世界戦略」が、人間社会に及ぼす意味について詳細な解説を試みている。カトリックの聖職者が、このような国際問題について真正面から取り組んだ著作はあまり例を見ない。特に日本においては皆無に近い。その意味からも画期的な著作である。                                                    
 日本のカトリック教会には政治・社会問題を考えることに極めて消極的な体質がある。それは戦前・戦中の“軍国主義”に対する協力を余儀なくされ、大きな過ちを犯した後遺症がいまだに続いていることによるといえる。しかしそれ以上に戦後の教会が、第二バチカン公会議で示された「信仰と生活」
「信仰と現代社会」というテーマについて積極的姿勢を持つことを怠ってきたことによるところが大きい。
 しかし、9・11テロ以後の状況のついて「バチカン」が示している苦悩、9・11テロの背景にある「パレスチナ問題」における「イスラム社会」と「ユダヤ社会」との救いのない“殺し合い”、アメリカの「キリスト教原理主義」と「新保守主義」(いわゆる「ネオコン」)の結託による軍事主義戦略を見れば、“宗教と政治”の問題に眼をつぶることはゆるされない。ブッシュとフセインが共に「神はわれと共にある」と言うのを見て、我々は“政治家の偽善”と“一神教”の陥穽を感じないわけにはいかない。これに対してただ「平和のために祈ります」というだけでは、それはある意味で問題からの逃避でしかない。広島・長崎・沖縄の悲劇を体験した日本人として、カトリック者として「9・11テロ」「アフガン戦争」「イラク戦争」の事態と、それを推進しているブッシュ政権と国際テロ勢力の対決について、もっと関心をもたなければならない。
 本書はそのような意欲を持つ人々に対して精細な資料とそれを読み解く思考の筋道を示している。西山氏は冒頭「米国同時多発テロは“快挙”か“暴挙”か」と問題提起し、「暴力に訴える手法は間違いなく暴挙であるが『いわれなき』暴挙かどうかは検討を待たねばならない」と指摘している。
 本書はこの“検討”を @グローバル・スタンダード A市場原理主義 Bパレスチナ問題 C沖縄の恒久基地化――の四側面から追求している。そして最後に9・11テロに対するカトリック教会の対応について @ローマ聖座 Aアメリカの教会 B日本の教会の三つのレベルから総括している。
 西山氏はそのいずれの対応についても、必ずしも納得していない。特にアメリカ司教協議会(USCCB)が発した01年11月14日の「司教メッセージ」が、教会の伝統的“正戦論”によってアメリカの武力行使を支持したことに、強い不満を表明している。その上でテロ直後に公表されたアメリカのT・ガンブルトン司教の論説「怒りを招いた原因は我々にある―テロリズムとアメリカの経済覇権は関連」(01年9月28日)と、バチカン国連代表マルティーノ大司教がヨハネスブルグ環境開発サミットで出した声明「現行のグローバリズム秩序は糾弾されるもの」(02年9月2日)が現在のカトリック教会の良識を代表するものとして紹介している。
 そして冒頭の問題提起への著者自身の回答として「暴力に訴える手法は(国際テロを含める)暴挙であるが『いわれ』は十二分にある――もちろん『いわれ』があったとしても。暴挙は許されないが」と結んでいる。