西 山 俊 彦

     
     

 
 7月24日(水) ジャマイカ
 

 
 
キングストン
R.ホラング神父らの Brothers of the Poor,Faith Centreで賃仕事に励む人々、この共同体にはたくさんの障害者が…
 
 

 
V.キャンベル師、E.タルボットさんに
Hellshire,Fort Clearance Beachまで
海水浴に連れて行って貰う

 すばらしい浜風にやすらぎのひと時
   何というもてなしだろう
 
   

 
 7月25日(木)

  
14:00 キングストンからキューバはその首都ハバナ着、入管で「ホテルに泊まらなければ入国させぬ」
  「いや、ビザは聖心教会に投宿で申請」と一騒動、中をとって2泊2泊で一見落着、ホテル・ナチオナ
  ルは格式のあるホテル、ただしあてがわれた705号室の窓は破れ集中冷房の騒音でヒドイもの、騒動の
  いやがらせか、次のフライトのイベリア航空は閉店だしどこにも電話が繋がらないし……。
  18:00〜 最初の外出、カルメル会聖堂に立寄る、教会内は別世界、皆温かく祈りの熱気、上品な婦人に
  A.ビセンテ氏を紹介さる、40を出たところか、ハバナ大学を首席で出ても信者では職がない、と。
  これは生き殺しではないか、持ち金を少し手渡そうにも断然拒否―危ないらしい。アイスクリーム店で   
  求めたパイ2個をお母さんにと言うと、これは喜んで受領、現実の厳しさ――。 21:00 ホテル帰着、
  シャワー、洗濯等、後、23:00 ビスケット、ビール、パイナップルで豪華な夕食。
  翌 1:00 祈り、整理等を終え、日記を付けてようやく就寝。
 

   


 7月27日(土)

  
6:00 起床、昨夜は騒音にウトウトしただけ、こむら返りがなかっただけ幸い。
   8:00 ビスケ3枚、マンゴジュース2缶で朝食、のち散策、中庭プールには給水車で水を入れている
  何日かかるのだろうか、それでも外貨は稼がねば― 昨日シャワーを使ったことを申し訳なく思う。


  
 Hotel Nacional
     巡礼を始めて、ここで初めてホテルに泊まった
     1泊 41ドル、食事、買物、すべてドルで支払う


    

 

(右) 中庭のプール
    長期断水で市民は喘いでいても
    ここ外人用のプールは…

 

 

(下) ホテルの中庭から眺めた海岸通り
    昨夜は
Julio 26革命記念日でゴッタ
    かえしていた

  11:40 ホテルNを去り聖心教会着、ここでも少々警戒ぎみ、昼食はプディング、コーヒー付き、さす
  がにジュースは断わる、屋上に貯水槽、水不足を案じなくてもよいとのこと、しかし壮麗な聖堂の壊れ
  始めたステンド・グラスを補修する術も見込みもなし、P.トリオ師によると洗礼は10%、結婚は30%が
  教会で、経済は窮状、若者が聖職者への召命に応えるのは英雄的、とのこと……。
 

    

 
 7月28日(日)

  
   6:00 起床  7:00 ミサ後、「愛の御母」巡礼所等教会訪問、途中子供公園、ビール店は朝から
  大入り、男子も牛乳・パンの配給に行列、定量以上もお金を出せば手に入る。しかし、東独製乗用車
  トラバントは共産党員でなければまず無理なこと……。
  10:50 港近くのカテドラルへ、右側近くに(見張りのためか)共産党事務所、横門一帯には人間の汚物
  が散乱、こんな場所に直接人間がするはずもなかろうに……
 

   


内部に2枚のポスター、1枚は林道をバックに
  “Somos viajeros en busca de la luz :
       tenemod que alzar los ojos para reconocer el camino
...
     
人とは光を求める旅人だ。
    正しい道を識るために我々は目を上げなければならない。”と

もう1枚はハス2輪に
  “Amor es compartir de la vida
愛とは分かち合い”とあった。

ここでも関係者との連絡は極度に困難。
 

  ハバナのカテドラーレ

 

  12:20 クラレチアン会聖母の御心教会着、“Confiemos  信頼しよう”の一字が塔に、神父2人修道士
  1人の他にもキューバ人ホセ神学生、一度神学生になれば、もう社会に居場所はない、とのこと。




Sagrado Corazon de Maria 教会で大ご馳走をいただく


 左から
 ローマから訪問中の Jose M.Viňas顧問、José Riviera修道士、
 手術後間もない P.Aguilar神父、José神学生
 神学生ともなればもはや社会にポストはない

  1959年にカストロ首相が政権を掌握する迄はハバナは物乞いが溢れていたと言う。カトリックが多数を
  占めていたキューバで一体教会はバティスタ政権に対抗することができなかったのか。だから教会は今
  信頼を失っていると、聞いた。真偽のほどは判らず、時代も異なる。しかし、社会的存在である我々が
  「ノー」と言わなければ「イエス」と言ったことになっていることは確かだ。あのハイチで、ヴァチカン
  大使館が焼き打ちにあったのは何かのはずみからかもしれないが、人気歌手マノ・シャルマーニュが奏
  でる歌詞は、教会の社会的関与の実際を問うているように思えて気懸りでならない――

     「陰謀がやって来た
      ワシントンからヴァチカン経由で
     神の名の下に 我々の教会に
     お前の居場所はない
     去れ! 教会こそ勝者
         変革への戦いは続く
     去れ! 我々は騙されない
         陰謀には巻き込まれない」

   いわずもがな、各国の状況が社会的関与を不可欠のものとする切迫したものであったか否かの判断の
  妥当性に、各当事者の関与の実際の当否がかかっているが、少なくとも「その通り」とはCELAM が断言
  し、筆者も少しく身を持って体験したところである。
 

 
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