西 山 俊 彦 |
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4月1日(月)
大阪発 15:45の PA806便で先ず成田に向う。一等だ。成田では知人に電話数回、最後のハガキも認めた。
米司教団の
Economic
Pastoral草案をロビーで読む。これでしばらく祖国ともお別れと思うと、目が自ず
とTVに向う。“忘れないで…”のメロディーが流れる。これ迄ともに歩んで下さった全ての人々への感
謝の気持ちで一杯になる。
“世界平和を求めるこの私が日本人であることは争えない事実、
しかもこの事実を超える生き方を現実のものとしようとしている”
17:15 成田発、Economyの横10席に対して6席のワイド・シート、一等と同じ Clipper Class、こんな
ところに乗せて貰っていいのだろうか… アリューシャン列島に向うらしい。旅の感覚はまだない。時差
はどれ位なのだろう…。
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4月6日(土) |
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聖土曜日 Dubuqueはローラス大等を経て、
カナダ・オッタワ着、13:55 定刻キッカリだ。
小雪まじる強風…
出迎えの D'Mello神父と再会の喜びをカメラに |
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4月12日(金) |
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首都ワシントンの春は
何とのどかなことだろう。
東西対決の一方の極というのに |
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ワシントンは
Center of Concernに
所長 Peter Henriot, S.J.神父を訪ねる。
最初の奨めは Sight-Seeing
早速メトロでユニオン・ステーションへ |
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4月18日(木) |
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緑深まり行くワシントンは
CARA の春色、
終日、ほととぎすが旅情を慰めてくれた |
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5:40 起床、7:30 ミサ、英国はリヴァプールから平和研究に来ている Sr.Elizabethと二人だけだ。
午前中は繁雑な連絡と不愉快事の連続、午後は手紙を認め、Samuel
Kim の The Quest for a Just World
Order
と『平和研究』ヒロシマ・ナガサキを読了、平和の実態についてのさまざまな感興を覚える。
「小生は今ワシントンにいる。核戦争が起これば真先にたたかれるところ…
しかも、これは架空のことではない…」。
Jimmy からの手紙にヨハネ・パウロ二世教皇が来年2月にインドに赴かれるとある。
小生が彼地に辿り着くのと同じ時期だ。Jimmy
が教えてくれたインドでの連絡先が社会的地位のある人ば
かりとはどうして… でも彼に感謝。
夕、Center of Concern に所長 P.Henriotを訪ね、UNESCO刊 の Peace Research Directoryの購入方を願
う。本年1月8日ベイルートで援助活動中誘拐された Fr.Martin Jenco,O.S.M.ご一家に会う。
諸方面との接渉に心労のあとがありあり… 無私の平和活動に励んでいた方が何故このように…。
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4月23日(火)
5:45 起床、7:00 一人でミサ。
午前に、Jan Tinbergen, Development
Planning とRichard Falk,Future World 読了、午後は UNCTAD W
Reportと諸教説データに目を通す。 …ワシントンの春はまことに春らしい。木々の若葉が目に眩しい。
終日、ほととぎす(?)が美声を聴かせてくれた。でもその語尾が長いのはどうしてだろう。
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5月3日(金)
6:00 起床... やはり眠い、30分休むが能率は上がらぬ。午前中は Curriulum Guideと
Peter Dale Scottの論文のみ了。
14:20−16:20
日本大使館に森本一等書記官を訪問、米政府の対外政策等のブリィーフィングを受ける。云われていた程大形な建物の感じはしないが、現在新築中の本館の説明などにも与かる。デリケートなお立場だろうに懇切に教えて下さり、スター
・ウォーズ計画の立案者
Paul H.Nitze の論文などを貰い、世界のどこからでも問合せに応じるからとの力強い支援を戴いた。タクシーで Georgetown大、Center for Peace Studies に所長 Richard McSorley, S.J.神父を訪れる。1942−45年フィリピンで捕虜生活を送られた方、コラ!などという言葉を知っておられてこちらがビックリする。やさしくて精悍な信念の人、現在大学で、平和研究・教育が片隅に置かれている状況を指摘される。関係文書で埋もれている質素な自室に招じ入れ、貴重な記録テープを無造作に取り出し、Interview
に応じ、また、米陸軍の
Nuclear Schelter に関する資料も下さった。Faculty
食堂で一緒に食事、日頃は余り口にされない?
メロン、アイスクリームをも進んで食べて小生に食べやすくして下さる。
信念の人とは何と心豊かな人だろう
... 。
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5月9日(木)
6:00 起床、7:00 ミサ、大柄なシスターひとりが参加 朝食後電話連絡など。
10:00 Catholic Univercity of America へ、CUA
は米の大学としてはそれ程ではないが、やはり緑あり広々として豊か、政治経済 World Order
関係書8冊を図書館で借入、プリントなども済ませる。
お昼を終えて食堂を出たところでウガンダの A.Okala師、韓国の
John先生、金さんなどに出会う。色んな書物にやはり知らない単語がかなり出てくる。13:15から、英和辞書を求めるため、横浜の平松師に
Rockville汽車を飛ばして貰う。 Panama 大使館でビサを貰い、PanAm、AirFrance を廻って、Sidney Kramer
Books
に。関係専門書の山、必要なものは求めたいが時間とお金が随分かかるだろう。帰路、
あちこちにたくさんの物乞い、頑丈な男に乞われ、いぶかりつつも一ドルだけ渡す。ワシントンの目抜通りはあちらにもこちらにも… もう避けて通るしかない…。と見れば華麗なホテル前に黒人トランペット吹き二人…。24:00 頃、
宿舎CARA−Center for the Applied Research in the
Apostolate−前に大勢の子供達の喚声… なかなかやまない… 遂に示威運動に乗り出す… 後で Casta Rica
からの交換中学生の一団とわかる…。
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5月10日(金)
6:00 起床、7:00 一人でミサ、9:30 メリノール会 Patrick Hoffman師来訪、様々な Informationを戴く。 11:30 National Shrineを訪れた後、ワシントン行きの Amtrack 乗車券を購入、Big
Boyで昼食をご馳走になる。……
17:30 St.Anthony 教会に Norton主任神父を訪れての帰路、Otis Streetで、また物乞いに噛みつかれる。“我々のために何もしてくれることが出来ないならば何しに日本から来たのか、と。…”本当にそうだ。この無力… 神父であって何も出来ないとは聖書の教えに反している。見れば目は赤く、足をひきづっている。…明日お会いする Americn Enterprise Institute の M.Novak教授はこの事実を何とコメントされるだろう。今日はジュースを買うのはやめた。せめて冷たいものも控えよう。… しかもこのような状態が世界大に拡がっているのだ…
Martinique から今日着いた M.Méranville 師からの歓迎の手紙は嬉しい。夕、コスタリカからの中学生と遊ぶ。20:20-22:30 8月ルーヴァン大の世界宗教社会学会議で発表予定の英文を直して貰う。有難い。
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5月20日(水) |
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P.Hoffman,M.M.神父、松浦君とフィラデルフィアに
Am.Friends Service Committeeを訪れる。
クェーカーは、メノナイト、ブレザレンとともに、
平和意識の高い団体だ |
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5月25日(土)〜28日(火)
Sojourners 主催の Peace
Pentecost に参加。 Sojourners
は超教派的キリスト教徒の集まりで、共同信仰生活を大切にし、多くの点でカトリック的な信仰集団、米侵攻を未然にするため中米に米国人を送りこんでいる。Center
of Concernからごく近くの本部を数回訪れ語り合ったが、その純粋さと平和への熱意に敬服した。
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5月26日(日)
ワシントンカトリック大学での Peace Pentecost.
Henry Nouwen師の早朝説教が印象的
“キリストとともに生きるだけでなく、
キリストを生きるのだ”
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米国各地から、またカナダから CUA体育館を埋めつくした催しは終始皆んなの熱意と喜びで一杯、
しかし最終日ホワイトハウス、ペンタゴン…へのデモ参加者の中から
227名の逮捕者を出したのは
予定の行動とは言え少々首を傾げたくなる。
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5月28日(火) Peace Pentecost最終日
Metropolitan A.M.E.教会に集合・祈祷、
さあこれから平和行進に出発だ
ラファイエット公園から、
ホワイトハウス、ペンタゴン等へ
平和行進に移るPeace Pentecost
もちろん逮捕は覚悟の上だ…
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