7月4日(木)
4:10 起床、5:45 チャペルで一人ミサ、“Guatemala 社会に主の恵みを”と祈る。
6:15 Felepe, Pedro
と空港へ、離陸料20Quetzal、手荷物重量オーバー17ドル、毎回こんなことでは大変、何とか対策を坑じねば…
現地時間 9:30
Managua着、空港には Bienvenido a la Patria del Sandclinoとあり銃を手にした兵士の姿が目立つ。タラップを下り歩いてターミナルへ。入国手続きに先立って60ドルの強制換金(ここでは実勢の1/4のレートとか)、手続きは繁雑だが応待は丁寧。スペイン人宣教師
P.Luis Azufro師の出迎えを受け、彼のトヨタで Las
Palmas教会へ、車はかなり痛んでおり部品の入手は不可能だから2・3年先にはどうにもならなくなるだろう。飛行場からの道路のあちこちに戦車が陣取る。市の中心部はマナグア地震で崩壊したまま、カテドラルも原っぱに無残な姿をさらす中に
Palacio Nacional議会だけは偉容を誇る。
木曜日の午前註なのに家の前に佇む多くの人影に失業・貧困の様態が察せられる。Las
Palmas到着と同時に諸方面との連絡… しかし電話がどうしてもつながらない。どうしてだろうか...。
14:30−16:10 Caritas
Nicaraguaで Luis César Nieňez氏に現況を聞く。若くて精力的、しかし話の途中何回も中座…、細心の注意を払う事情はこちらが理解せねば、と思う。トラック、ジープ、通信機器等日本のカリタスからの援助取次ぎを頼まれる。
Sandiniata政府側、Contra反政府側を問わず、相互に
抗争破壊している国に援助は矛盾、と水を向けると、Caritas
Nicaraguaは中立であって、そこに多くの困っている人がいるから活動しなければならないのだ、との答えを得る。16:30−18:30
日本大使館で西山書記官、泉参事官から状況説明を受け、川出大使からは赤十字を通して医薬品と井戸掘りの援助をしたい、また、ニカラグアはアメリカの前庭などと遠慮をしないで、日本は独自の積極外交を展開すべき… との見解を伺う。21:30
今日は早い就寝、これで背骨の痛みも消えればよいが…。
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7月6日(土)
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5:40 起床、ミサ後、8:00−10:10まで反政府系自由新聞 La
Prensa編集長 Jaime C. Chamorro氏を訪ねる。家柄のよさを表わすかなりの私宅、チャモロ氏は葉まきをくゆらせ令嬢 Sagrarioさんには香水の香り、ただし朝食はいたって簡素、現政権の数々の矛盾を指摘し自由経済の復興を強調する。小生は一部の者だけの自由に終わらない公正な分配と改革の必要性を説く。…
終わりに彼氏は、
“We Nicaraguenses alone cannot achieve
much”
と付け加えた。その通り、ニカラグアにも結局は国際政治と国際経済に左右されているのだろう。Chamorro父娘の安全を祈らずにはいられない。 |
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Card.Miguel Oband y Bravo に会うために 12:00−13:15
郊外の大司教館へ。途中バラックとも言えないランチョ多数、そして宏壮な米公使公邸。しかし革命指導者 Los Nueve Comandantesも宏壮な家にいるという。道路ぎわに“Revolución
si, perocristiano. PPSC-Patido Popular Social Cristiana革命は必要、しかしキリスト教的な革命を”の看板。 |
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大司教館にはひっきりなしの来客、医薬品を特別機いっぱい積んでやって来た米下院議員2人とその関係者も。カルディナルとの会見は1時から約
15分、他の重要 Interview同様テープに納めた。人権に基づく教会の立場を強調されるが、少々右よりの感じも…。“Revolucion si,
pero cristiano”についてのコメントを求めると、これを肯定…。14:00 帰着昼食後 15:30
まで昼寝、蒸し暑く疲れる。そういえば午前中の雨は実にケタタマしかった。16:50
教会へ出てみる。明日はカルディナルの公式訪問の日とあって、82歳のスペイン人宣教師 Vicente Cerezo師も青少年と大変にハッスル、一面がニカラグアで他面がバチカンの小旗多数も出来上がっている。…彼師は付け加えた、準備に明けくれるこの聖堂の蛍光燈も切れれば、もう換えが手に入らない、と…。司祭館前に
IsabellaとRosaの2人、イサベラは8歳で11人の兄弟があり、ローザは6歳で10人兄弟、ともにハダシで買物に行く途中という。“我々は
Pobresで一度もお腹一杯食べたことがない”と言った。いたいけな幼子なのに… 彼等が行った後で Azufro師は指摘した。“皆、大家族だ。ニカラグアの結婚の75%は教会法的には無効… 何回も何回も結婚し、特に貧しい女性は何回も捨てられるのだ…”と。やりきれなく感じる。… 19:00−21:00
Luis
Aviles師のミサに参加させて貰い、“ニカラグアに信仰を、平和を”と祈る。参加者は300人位、よく祈り、ギター・太鼓でよく歌う。実によく洗練されている。ミサ後、祭壇を囲む見事なダンスに惚れぼれ…。
21:15
夕食、23:20 就寝。
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7月7日(日)
6:10 起床、7:40 朝食、早速 Sangre de Cristoのお祝いが催される
Catedrel近くの公園へ、補佐司教司式のミサは始まっていた。ミサは青年達の指導する歌と祈りに終始、しかし行列には、ドギツイ飾りの十字架像、それをゆする一団と稚児連、取巻きの群衆、焼魚のニオイと爆竹の連続… Folkloreの香りでいっぱい...。直射日光はまことに厳しい。不思議とここではカチワリ氷、Cokeでさえも売っている。そして1本の何分の1かをビニール袋につめ代えて渡す。
典礼奉仕に来ていたカルメル会修女2人は言った。
ニカラグアは3つを愛す
“El
Sangre de Cristo, Purissimo Corazon de Maria, y Cardinal”
(キリストの御血、汚れなき聖母の御心、オバンド枢機卿) |
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行列には加わらず、Hotel
Continental Managuaへ向う。先に Rovas女史に奨められた“Revolucionarios por el Evangelo”を購入するために。250
Cordoba、約10ドルだった。
見事なプールをも見とどけた。しかしこのような場所は小生の来るところではない。
炎暑射す日曜のお昼前歩いて Los Palmasへ…
ソコココの道ばたにゴロッと横たわる人、ねだる子供…
実にわびしい気持ちに襲われる。
フト見上げた青空にマリンセの花の美しさ、
思わずシャッターを切った。
11:00 帰着、 |
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12:00−13:00
オバンド枢機卿公式訪問のミサ、小生も参加し“ニカラグアの国民と教会に平和を”と祈る。信者はほぼ1000人位か。枢機卿の自信と威厳、盛大な音楽…。ミサ後も余りの歓迎にカルディナルは教会を出るに出られない有様、司教館での“パーティ”に出ていたご馳走は、きっと皆が無理をして作ったのだろう。ガテマラ神学院で勉強中の
Pedro君兄姉3人も遠くから駆けつけてくれた。
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15:30 神学生 Gonzalo君と2人で進歩派指導者 P.Ulier Molino, O.F.M.師の
St.Maria de los Angelesへ、祭壇中央に掛かる『漁船・キリスト・群衆・弟子』の大画が全てを語る。しかし不在。 |
Sagrado
Corazon de Jasusにと言われ、そこへ。そこで Miguel D'Escoto, M.M., Fernanado
Cardenal,S.J.,(Ernesto Cardenal), Ulier, O.F.M., C.Jerez,S.J., Alvaro
Arguello,S.J.,
Msgr. José Medano,S.J., P.Rafael,O.P.等 進歩派指導者の面々と会う。
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小生も参加し、“ニカラグアの国民と教会に平和を”と祈る。正午のミサと全く同じ意向だ。
典礼はキチンとしているが、雰囲気は情熱的、政治的…、それに祭壇を占拠せんばかりのカメラマンの大群。Gonzalo君によれば参加者の70%は外人だろうとのこと。 |
19:00−19:40
ミサ後別棟に席を移て M.D'Escoto
師の断食宣言、国家主権の尊厳と米軍侵攻の危機を中心とするがこれも必要なのだろう。… Gonzalo君と一緒に夜道を歩いて帰る。これから彼はどんな道を辿るのだろう。夕食を終えた頃、TVは民族舞踊を流してくれた。動乱の地、最後の夕べの複雑な気持ちを知ってか知らずにか…。後、老宣教師
Vicente師の“ニカラグアに自由を”との最後の訴えを聴く。荷造りを少ししただけなのに早や 23:20 …。
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