Appeal for Justice and Peace | |
Fr. Peter Toshihiko Nishiyama |
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INDEX | |
If “Peace
follows the footsteps of Righteousness”, |
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Did “The Church sincerely ask Lord's forgiveness for Her sins.”? (2002年12月6日発表) |
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教会は誠実に罪の赦しを願ったのか (『福音宣教』 2001年3月) |
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カトリック教会の戦争責任 (サンパウロ、 2000年7月15日刊) |
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カトリック教会と沖縄戦 (サンパウロ、2001年10月10日刊) |
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私的所有権の不条理性 (『平和研究』 1999年11月) |
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「『構造的暴力理論』は『完全平等主義』と『絶対人格主義』との別名ではなかろうか?」 (英知大学『紀要』 2001年3月) |
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「持続可能な開発原理の二律背反性と普遍的秩序(平和)構築原理としての不可性」 (『平和研究』 1996年11月) |
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「平和学の創造 −抄約−」 (『平和研究』 1987年11月) |
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SAP, ISN'T AN ARBITRARY IMPOSITION ?- (構造調整、それは一方的仕打ちではないのか?)- |
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市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾(@〜L) (大阪正平協『いんふぉめぃしょん』(2000年1月〜2001年3月) |
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沖縄から四旬節を学ぶ (『カトリック新聞』 2002年2月3日) |
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〈死刑〉は現代の“魔女狩り”ではないのか? (大阪正平協『いんふぉめぃしょん』(1990年8月) |
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「平和(学)構築への諸要件」−著作・文献一覧− (加筆中) |
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「神の国」と「地上の国」の平和主義−「正戦論」からの脱却を期待して− (英知大学『サピエンチア』 1995年2月) |
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いかなる「機会の平等」、いかなる「結果の平等」が論理整合的平等概念なのか? (英知大学『紀要』 2002年3月) |
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同時多発テロは「いわれなき」暴挙か @ 唯一の超大国のよる“グローバルスタンダード”の内実 (『福音と社会』 2002年2月) |
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同時多発テロは「いわれなき」暴挙か A 「市場原理主義」の実態はダブルスタンダード以上の横暴である (『福音と社会』 2002年4月) |
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同時多発テロは「いわれなき」暴挙か B パレスチナ問題の放置もまた“グローバルスタンダード”以上の強者の横暴ではないのか (『福音と社会』 2002年6月) |
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同時多発テロは「いわれなき」暴挙か C |
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同時多発テロは「いわれなき」暴挙か D 国益至上主義に代えて真の人類共同体を目ざすために (『福音と社会』2002年10月) |
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「うるまネシア」の独立論は「何への独立か」を見つめよう (『うるまネシア』 2002年7月) | |
カトリック社会問題研究所夏期セミナー講演 キリスト信仰と天皇への思い 日本教会の戦時対応を中心に検証する (『福音と社会』 2002年8月) |
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先人の面影のいくつか (福田豊神父様 山口正神父様 J・ジュピア神父様) | |
「平和」それは信仰の本質 (『声』1987年12月) | |
「平和」現代の不安とその充足の視点から (『声』1981年 6月) | |
「平和」−それは交わりの果実− (『声』1989年 6月) | |
“問われている”信仰の正体が (『声』1986年 10月) | |
何故「平和旬間」はあるのでしょうか? (三日市・金剛・堺・橋本・泉北、各教会ニュース 2003・ 8月号に掲載) | |
年頭書簡 (2002) (2003) (2004) (2005) (2006) (2007) (2008) | |
イースター・メッセージ (2007) | |
神社参拝と宗教的行為の規定の恣意性 −「信教の自由」原理の確立と「カトリック教会の戦争責任」に関連して(1)− (『戦後五十年を踏まえて二十一世紀を生きる教会』、大阪「正義と平和」協議会編、大阪教育図書KK、15-44頁) |
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「信教の自由」の要件と二歴史的事例の検討−「カトリック教会の戦争責任」に関連して(2)− (『福音と社会』2003年2月) |
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トマス・アクィナスに基づく私的所有権の再解釈と若干の帰結−抄録− (英知大学『紀要』1992年3月) | |
私的所有権の個別的論証の非論理性 −「自己所有権」の問題点を中心に− (英知大学『紀要』1999年3月) | |
経済行為の成立根拠が「不完全競争」要因の独占に起因することの帰結 経済社会学会『グローバル時代の経済と社会』 −「社会的効率と平等」、そして「持続可能な開発」の実現可能性に関連して− (1997年9月) |
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私的所有権の偶有性と経済(社会)学の課題−抄録− (経済社会学会『経緯力と市場経済』1994年9月) | |
「怠りの罪」の意義と課題 −人類共同体の構築を目標化するために− (英知大学『紀要』2003年3月) |
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一極覇権主義とキリスト教の役割 (フリープレス、2003年4月30日刊) | |
WHAT WOULD YOU DO, IF THE GROUND YOU ARE STANDING ON SUBSIDED ALTOGETHER ? (Peace Studies Bulletin 2003年9月) | |
「構造的暴力理論」の批判的考察と平和学の課題 (『ガルトゥング平和学入門』2003年9月) | |
近代資本主義の成立と奴隷貿易 (『福音と社会』連載) | |
“政教分離”原則と解放の“神学” ―教会.の社会的関与についての整合的理解のために― (英知大学『サピエンチア』 1994年2月) | |
冤罪・狭山事件 ―再審の扉を開くために一人ひとりの力を結集しよう― | |
「大阪のつどい」メッセージ ( 2003.6.1 ) ( 2005.5.29 ) ( 2007.6.3 ) ( 2007.11.18 ) | |
カトリック教会の戦争責任 −軍靴の響きが迫る現在の「証し」を共に考える− (2.11教会と天皇制を考える会) | |
第一回平和巡礼『平和学研究ノート』(1985年) | |
「信教の自由」に立ちはだかる二つの壁(パラドックス) (憲法二十条が危ない!緊急連絡会通信 第二号 5−7頁掲載) | |
なぜ「靖国合祀取消し訴訟」原告となったのか (季刊『前夜』第T期10号2007冬 67−73頁掲載) | |
なぜ、今、靖国 神社合祀取消し訴訟を起こすのですか? (『大阪カトリック時報』 2008年1月号 2頁掲載) |