昨年11月沖縄を再訪、『うるまネシア』第3号を手にして、「これぞ沖縄」という温かいものを感
うちなゆ
じた。今、「沖縄世」の基本原理が「(A)チュニクルサッテーニンダリーシガ人に痛めつけられて
(1)
も眠ることができるが、(B) チュニクルチェーニンダラン人を痛めつけては眠られぬ」であり、特
に(B)でもって特徴づけられるとすると、「沖縄独立論」は何を意味しているのかを共に模索した
い。
、、、、
1. 先ず「何からの独立か」は「大和ぬ世」からに決まっている。政治的には、明治政府による併
合(1879年)以来、「平和条約」による日本の主権回復(1951年)時、沖縄の本土復帰(又は再併
合、1972年)時、等々、数次にわたる「処分断行」は(B)とは正反対の仕打ちだった。文化的・
歴史的多様性を否定し、沖縄固有のそれを抹殺したのも同様、十五戦戦争末期「鉄の暴風」下に県
民の3人に1人が犠牲とされた「捨て石」作戦はその極致、朝鮮動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争、
果ては、アフガン報復への前線基地とされたのはもちろん、「日米安保共同宣言」(1996年)によ
る恒久基地化も(B)とは相容れないものだった。その結果と言えば、経済的には、3次にわたる
「開発特別措置法」による6兆7千億円の投下にもかかわらず、基幹産業一つ育っていない現状、
県民所得は全国平均の71.9%(1999年)、失業率は7.2(2002年1月現在、同全国平均5.2)%、若年
失業率は14.5(同9.7)%に明白である。
石の上にも30年、「大和ぬ世」と「沖縄世」の基本原理がこれほどまでに別物であれば、「沖
(2) むべ
縄の未来は日本からの独立にしかない」との宣言に「宣なるかな」と唱和するしかない。
2.それでは「何への独立か」は自明だろうか。ここで確認しておかねばならないのは、「国家」
の最も基本的性格は、私益を公益とすることによって強者の権利にすぎないものを優先して弱者を
無視差別し、国益を武力を持ってしても実現すべき至高の権利、主権、として他国を強圧蹂躙して
省みない政治組織である、ことである。この「国家」原理を動因とする「国家主義」にとって「覇
権主義」は不可避であって、覇権国家が二つの陣営に対峙すれば「東西冷戦」となり、一国勝ち残
りとなれば「一国覇権体制」となる。いかなる国も「国家」としては、覇権主義を免れないとすれ
ば、たとえ「沖縄世」が「大和ぬ世」より強大になり得たとしても、それでは「大和ぬ世」からの
離脱を主張する意味はない。「沖縄世」が「沖縄のこころ」、殊に、(B)原理が支配する世界の実現
にあれば、それは「自己よりも惨めで虐げられている者を決して許容しない」状態を目指している
こととなり、それは個々人のレベルにおいて初めて可能となる訳であって、これに反する「国家」
と「国家主義」からの超克なしにはあり得ない。
ところで、私益の専有、国益の独占から自由な世界は、ほぼ、実現不可能なことを銘記しておか
ねばならない――それは、最底辺に位置する者との連帯共有を基準とする世界だからである。今、
沖縄の県民所得が全国平均の71.9%であるとしてこれをドルで表せば 2万4597ドル(2000年度)、
ところが世界平均は5150ドルなのだから、沖縄の所得は5分の1へと引き下げねばならなくなる。
全ての兄弟との連帯を旨とするとは、低所得国とのそれだけでなく、低所得者個々人との連帯をも
計る訳だから、事は一層六ヵ敷くなる――なぜなら、その憲章第1条の2において「民族自決権」
を認めているかに見える国(家主義)連(合)であるが、国家主義に対立し、これに対抗する組織
作りは、主権を脅かし国益を損う「テロ」として、こぞって弾圧すべき対象とされているのだから
――パレスチナ然り、チェチェン、北アイルランド、新彊ヴィグル地区、クルド、バルカン然り、
果てはアフリカ諸国等々、世界に3500はあるとされる先住民族の自主独立への真意は、本来、覇権
主義への台頭とは裏腹のものであるはずなのに、新世紀の冒頭に「国家主義」社会が一致団結して
弾圧阻止すべき最重要課題となっている。
「沖縄世」への独立が「大和ぬ世」と「アメリカ世」からの独立であることは自明、しかし、それ
が基本原理(B)の支配する世界であることはどれほど自覚されているだろうか。それは「他人を
貧しくさせては生きて行けない」が、そのためには「進んで自己を貧しくして宣しとする」ところ
まゆ みるくゆ(3)
に始まる「真世」とも「弥勒世」とも言われるもの、物質的には富と権力、国家と国家主義とも無
縁であってもその「こころ」は豊かな豊かな「平和よ」である。「沖縄独立論」が「(国家として
の)独立論」から独立していなければならないことを自覚するところに「うるまネシアの独立論」
は始まるのではなかろうか。
(1) 大山朝常『沖縄独立宣言』現代書林、1997年、180頁。
(2) 大山朝常『前掲書』204頁。
(3) 後田多敦「海那小国記」『うるまネシア』創刊号、2000年、26−35、27頁。 |