「日本カトリック正義と平和協議会(正平協)第27回全国集会」in
沖縄 (2001年11月22日−25日)
に参加し多くを学ばせられた。以下に二つの事実を紹介して、「十字架による復活の先取りこそが正
ねが
義と平和の核心」であることを再確認したく希う。
いとかずごう
最終日の25日、開南教会でのミサに続いて訪れたのが糸数壕
アブチラガマだった。案内板には
「270米に及ぶ自然洞穴で、住民200名が非難、日本軍の陣地、陸軍病院分院として使用され・・・・・・
悲惨を極めた地獄絵が展開された」とあった。
懐中電灯を頼りに一行150人は一番底の“広間”まで下り、松浦悟郎司教先導で祈りをささげ、明
しの
かりを消して5分間の黙祷に伏し、往時を偲んだ。『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(仲宗根
したた
政善)、『戦場に生きる』(昭和高女同窓会)、『カトリック教会と沖縄戦』(小著)、に認められてい
る学徒隊が直面した壕内は次の様相を呈していた ――。
はえばる
たまぐすく
4月28日、米軍上陸の約1ヵ月後、南風原陸軍病院は玉城村の糸数壕他に移転、35人の(女子)学
徒隊がその運搬看護に当たった。
よ
み
壕内に昼夜の別はなく、ローソクが黄泉を照らし、それは炭酸ガスの密度計でもあった。
地上戦の進展に伴って負傷兵がドッと運び込まれ、目、顔、腹、四肢などが吹っ飛び、射貫かれ
た、何十、何百の命ののた打ち回る地獄絵が現出した。
薬品備品の不足で包帯交換一つできず、ウジが傷口を被い、臭気と湿気と吐き気、殺気と狂気が
充満、足の踏み場もない息苦しい中を三日三晩看護と埋葬に明け暮れることさえあった。
しかばね
水くみ、用足しは命がけ、しかし学徒たちは艦砲弾の中をゆうゆうと歩き、屍と一緒に仮眠する
日々・・・・・・ 死が、ただの睡眠のようになっていた。
しゅうえん
6月19日午前2時、沖縄戦終焉を目前に、学徒隊は解散を命じられ、重傷者を“処理”し、友人
を壕に残して、弾雨の中をさまようこととなった。逃げ遅れた第三外科壕(ひめゆりの塔の場所)
では、五人を除いて、百余人が全滅した。15−19歳だった学徒隊の戦死者は、男子890人(50%)、
女子334人(57%)、
せいさん
戦争は凄惨で愚かなこと。これを沖縄県民はもとより、日本国民全員が体験し、反戦平和を誓っ
たのではなかったか。なのに、日米軍事同盟を拡大強化し、沖縄の恒久基地化、自衛隊の海外派遣
・・・・・・、残るは憲法改正のみの現下の情勢は、犠牲となった若人へは背信、平和の福音の信仰者と
しては自己矛盾。
われわれ各人も教会全体も、自己の弱さにかこつけ体制におもねることなく、「自己に死にキリ
あか
かりそ
ストに生かされる」原点に覚醒して平和の福音を証さなければ、神の国も復活も仮初めのものとな
る。
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摩文仁の丘 1996年7月28日 筆者撮影 |
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まぶに
次に訪れたのが沖縄戦終焉の地、摩文仁の丘
いしじ
に建つ「平和の礎」だった。
2001年6月23日現在、23万8161人(日本人22
万3666、外国人1万4495)が刻銘されている。
しかし、朝鮮民主主義人民共和国82人、大韓
民国296人、合計378人とは余りに少ないではな
いか。
「軍夫」として徴用され、苛酷な労働に牛馬
以下に扱われた者は、少なくとも、1万人、戦争 |
終結後、収容所で確認された者が3千人弱とすると、7割が犠牲になったはず・・・・・・。
もっと不思議なのは女性の刻銘者が一人もいないこと。
だまされて連れて来られ、“慰安婦”として軍人たちの獣欲の晒しものにされた戦時性奴隷制の
犠牲者は、兵員35人に1人の基準からは3千人、確認済慰安所数50からは最低350人、まずは1千人
はいたはずで、沖縄戦末期には馬と朝鮮人が群れをなして戦場をはいまわっていたと言われるのだ
から・・・・・・。
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沖縄は島尻の摩文仁の丘に眠る犠牲者は、2001年6月23日現在、内外合わせて、23万8187名、建立から6年を経た「平和の礎」には277本のモモタマナ(クワァ
ーデーザー)が緑の陰を結び、平和の海(太平洋)から打寄せる波音が静寂を倍加
している。ここが沖縄戦終焉の地だったことに想いを馳せ得なければ、その静寂も
厳粛もあり得ないのでは・・・・・。 (1996年7月28日 筆者撮影) |
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その理由は単純。政府も私たちも、
強制連行の事実も認めず、謝罪も補償
もせず、死亡通知一つ出していない不
誠意と無責任のままで、50年たったか
ら虐待虐殺の異郷の地に刻銘を、と言
われれば、誰だって返す言葉もない。
建設趣意書に掲げた「悲惨な戦争の
教訓を後世に正しく継承」していない
状態で「国籍の別なくすべての犠牲者
を刻銘する」とは履き違えも甚だしい。
闇から闇へ葬ってきた政府の責任が
が重大なのはもちろん、それを容認し |
てきた国民の責任も小さくない。人間皆きょうだい、悲しむ人々と共に悲しむ、と公言するキリス
ト者なら、この事態を放闇から闇へ葬ってきた政府の責任が重大なのはもちろん、それを容認して
きた国民の責任も小さ置できないはず。そのための十字架を担って共に生きる生き方を始めねばな
らない。
とき
「平和の礎」は正義の回復、十字架は復活の先取り、四旬節はそのための「恵みの季節」。
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