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“Antinomy
of the Principle of Sustainable Development as an Indispensable
Requisite for Constructing
Universal Order, Peace.” |
西 山 俊 彦 |
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Summary : |
Since the Earth-Summit
in Rio, Sustainable Developmeut (SD) has become a political platform for
mankind, despite the fact that consensus on conceptual contents and,
much the more, on its theoretical |
T.
Conceptual characteristics of SD have been identified as, successively
adding to classical “Steaby |
U.
Antinomy of SD has been proved b means of conceptual adequacy and
practical infeasibility of |
V. The
universal value principle, such as SD, is, briefly argued, indispensable
to universal order, peace, |
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日本平和学会1995年度秋季研究大会のテーマは「アジア・日本・戦後50年−『持続可能な発展』と日本の選択−」であった。「持続可能な発展 Sustainable
Development−以下 SD(1)−」という評価基準を掲げたことは画期的なこと、冷戦崩壊の次第であれ超氷河期の行方であれ、戦後50年を評価し次代を選択することは価値基準の自覚化なしにはあり得ないとすれば、これでようやく平和学も科学としての第一歩を踏み出したことになるのではなかろうか。 |
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「有限の世界で無限に幾何級数的成長を続けることができると思い込んでいるのは、理性を失った者(一部変更)か経済学者だ」(7)とK.ボールディングは指摘した。とはいえ、「定常状態」はリガードからJ.S.ミルにいたる古典派にとって資本主義経済の行きつくべき状態とみなされ、A.マーシャルに続く新古典派では「均衡概念」が実現されるべき状態でも方策でもあった。過去50年近く成長至上主義が支配的だったのは、或いは「新古典派の静的均衡理論に対する反動」(8)か、或いは各個々人は利潤追求に、経済学者はこれら営為の分析に終始して、その連関帰結の全体的視野統合を軽視したためではなかったろうか。いずれにしろ成長至上主義は資源枯渇と環境破壊を惹起し、「このまま放置すれば、22世紀をまたず、人類が滅亡する可能性は強い」(9)との警鐘が打ち鳴らされ、「もう一つの選択は、市場経済を放棄し、世界経済の成長率をゼロにすることである」(9)と大転換を迫っている。「すべての者の家である地球の不可分性と相互依存を確認した」「地球サミット」(1992)では「SD」社会の実現が、遂に、人類社会の政治的課題となった。先ず「SD」原理の骨子を確認しなければならない。 |
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「SD」の最も基本的性格は「永続的開発」(10)或いは「開発に関する要件が時系列的に無限に継続する可能性」(10)と言われる。H.デーリー(11)は、「永続性」を「均衡状態」で据え直し、これをアウト・プットがイン・プットを上回らない「再生可能性」の概念でもって表現した。 |
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「西暦2000年までに持続的開発を達成し、また、これを永続させる長期戦略を提示」しようとした「ブルントラント報告」は、 |
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前項「世代間平等」は各世代が「再生可能性」を堅持することによって、他世代にも同等の開発可能性を保証し、全世代間の平等を確保するものであった。ところで「同一世代内」での平等を権利義務とできるのであれば、「世代内の平等」は「世代間の平等」の不可欠的前提である。「持続可能性は……世代間の社会的公平のみならず、各世代のなかにおける公平にまで論理的に拡大されるべきものである」(22)(23)と言われる所以である。「世代内の平等」は「南北間の平等」はいうに及ばず、「個々人間の平等」にまで必然的に及ばねばならず、このために、「SD」原理の最終基本単位は個々人(の平等)ということになるが、これは開発の主体が人間個々人であり、また、その目的も人間個々人であったところと一致する。これを個々人の視点から見れば、個々人を主体として尊重する普遍的価値規範に相当し、従って、「SD」社会を確立することは普遍的秩序とみなされる平和構築の不可欠の要件であることを意味している(24)。「SD」原理の主体と目的が人間個々人であり、最終基本単位が個々人(の絶対平等権)にあるとすると、ここにまた多くの論理必然的帰結が派生する。その二つだけを記せば
――
「個々人を主体とし、個々人を目的とする平等」は、 |
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第T節では、「世代間のSD原理の確立」は「世代内のSD原理の確立」によって確保されること、即ち、「世代間における平等な開発可能性」は「各世代内における再生可能性の維持」によって確保されることを確認した。ところで、資源環境の「均衡状態」或いは「再生可能性」はどのように維持されるのかが次の問題である。それを守れば「均衡」が保たれ、守らなければ「均衡」が崩れる要件を説明する十全な理論は必要十分なものでなければならないが、植田和弘等は相互排除的ではない五つの理論を挙げている(25)。(1)
物質代謝論アプローチ、(2)
環境資源論アプローチ、(3)
外部不経済論アプローチ、 |
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1.「外部(不)経済の内部化」は「均衡状態」の回復に相当 |
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A.マーシャル、A.C.ピグー、R.F.カーン(26)等によって順次理論化された外部(不)経済とは「経済的営為の中で、市場取引(内部経済)外のものとして処理された(非)資源、或いは、その(不)効用のもたらす(非)経済性」(27)と定義づけられる。呼吸とか燃焼に対する空気とか酸素のように、往々にして、意識されているかいないかに拘らず、或いは、温暖化に対する森林効果とか、或いは、各種スケール・メリットのように意図的に利用されているかいないかによらず、実際上経済行為に寄与しているにも拘らず(28)、市場取引の対価計算外のものと見なされている経済効果のである。外部経済と表現されるのは対価計算に対してだけのことであって、経済行為には内在的であるにも拘らず、何らかの権益格差によっていわば“タダ乗り”を許されている効果であるところから、比較優位性と利潤創出の主要な源泉となる。「外部経済を内部化する」とは、これら市場取引外のものとして処理された「不払いの資源効果」を対価計算に再び取り込み、「再生可能性」に応じた対価支払を実行して資源環境の「平衡状態」を回復することに相当する。少なくとも概念上は、「不払いによって再生不可能に陥っていた状態」(29)を「支払いによって再生可能な状態」に戻すのだから、論理整合性は見事に充たされ、「外部経済の内部化」課題の実行こそが「SD」社会確立の十分条件となる。このような収支バランスの回復は、論理的、原理的に余りにも整合的であって、その実現可能性については問題視されないことが多いが、「内部化」の実現可能性に「SD」社会の実現可能性がかかっているのであるから、「外部経済の内部化」が実現可能なものであるか否かは最大のポイントである。次に展開するこのポイントが本稿の一特徴である。 |
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論理的にも原理的にも全く整合的な「外部経済を内部化する」課題は、次の二つの理由によって実現不可能なことが判明する――。 |
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「SDと経済成長は両立し得る」(34)とも「持続可能性はZGを意味しない」(35)とも言われるが、「SD」社会が「均衡社会」「定常社会」のことだとすると、その「究極完成態」は「ZG」社会となるところから、ボールディングは「ZG経済とは定常状態の別名」(36)と明言する。林雄二郎は「ZG」社会の近似例として鎖国化の江戸を挙げ、それが可能となったのは、(1)対外依存度の低い自給的生活パターン、 |
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V.普遍的秩序(平和)構築への普遍的原理の不可欠性と暫定性 |
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以上、2節にわたって「世代間」の「SD」原理の実現は、各「世代内」における「外部経済の内部化」の達成によって実現されるとすることは論理整合的であって、目標とされるべき中心命題あるが、内部化自体の原理的制約のためそれは全的には実現不可能なところから、市場経済に不可避的に発生する「外部不経済」を修正するシステムを組織化しなければならないことを確認した。最後に、1.「SD」原理という普遍的価値規範の定立を目指すことは、科学と平和学の本来の使命であって、その逆ではないこと、2.地球容量に物理的限界があり、人類の破滅は避けねばならぬなら、「SD」社会への転換は至上命令であること、3.二律背反からの脱却可能性は市場経済の矛盾を超克するグローバル組織の創出にあることを、紙幅の許す限り書き留めたい。 |
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「SD」原理の意図するところは、人類の「全世代」(ひいては全構成員)に普遍的に妥当する(はずの)「平等な開発への可能性」を保証することであれば、これは価値自由を旨とする科学に価値規範を持ち込む暴挙ではないか、との疑念について、この見解が科学性を全く非現実的な価値自由性と等置する錯誤に基づいていることだけを説明する。先ず、事実は即物的、客体的、第三者的なものであり、科学的世界を構成しその道具である「概(観)念」「事物」「対象」も価値自由であるとする見解(43)は全く錯誤であること。なぜなら、あそこに行くのは「人」か否かを規定できるのは、「人とは何物か」という「人としての要件」或いは「共通の思い込み」という「(常に暫定的な)定義」(44)を有している場合だけで、これなくしては「人」という事実は規定されない。「タスキ」は長いか短いかという評価も、「SD」社会の定立は人類の課題に相応しいか否かも全く同様(45)、価値規範と価値枠組の前提なくしていかなる事実も存在しない。「世界は物
Ding の総体ではなく、事実 Tatsache の総体である」(46)と言われる所以で、いかなる事実も存在拘束性を脱却できない所為でもあるが、それらが即物的、客体的、第三者的所与と見なされるのは、ただその規定主体が当該価値グループに埋没してその枠組みさえ自覚されない虚無意識のなせる業である。「SD」原理の基準とされる |
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「宇宙船地球号」に各種限界があることを否定する者はもはやいない。それは、或いは光合成率を基にして、2210年頃の総人口576億人を物理的限界とし(49)、或いは、インド並みのカロリー摂取量で134億人を限度とし(50)、『成長の限界』では、資源埋蔵量などを基に「成長の局面が今後100年続くことはない」(51)と結論付けた。このような限界を前に、悲観論者は「池面と水蓮」の喩えを持ち出して、「今日が破局の一日前」であるかのような警鐘を鳴らし(52)、楽観論者は技術革新と市場メカニズム(53)(54)が全てを解決すると力説するが、人間主体の対応こそが肝要である。平準化の水準をどこに置くかは決定的なポイントであって、上限に一致させることが望ましいことは言う迄もないが、「開発途上国のエネルギー使用を先進工業国並みにすると、世界のエネルギー消費量は現在の5倍に増加し」(55)、「21世紀に開発途上国における工業製品の消費を先進国並みの水準に引き上げるとすれば、工業生産額を5倍から10倍に拡大しなければならず」(56)
「地球の生態系はこれらを支えきれない」(55)。これが不可能ならより低い水準を目標とすることになるが、欲望の抑制をもって人類の連帯を図ることがはたしてできるだろうか。(57)。1960年代より既に4度目となる「国連開発旬年
Development Decade」(58)の援助目標GNPの0.7%を達成したのは
OECD18ヵ国中僅かに4カ国だけであり、2005年までにCO2放出量を1986年水準の20%減とするとの「トロント声明」の実現も絶望的である。近未来の予測は、 |
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これ迄に確認された諸ポイントの要点は、「内部化」をもって、論理整合的に充足されるはずの、「SD」原理は、外部経済の同定不能性と経済主体に内在する外部経済によって、即ち、「内部化」原理の十全な実現は「内部化」原理自体の不確定性によって不可能となることだった。この「SD」社会達成を不可能にしている原理こそ各経済主体が最大限に利用して利潤拡大を図り、生存競争に勝ち残ることによって資本主義経済に活力を付与し続けるものであった。市場経済が存続する限りこの呪縛を払拭できる経済主体はないが、それは各経済主体としては、各種生産性の向上を企てて熾烈な競争に生き残ること以外に生存の余地がないからであり、従って、各経済主体にとっての市場メカニズムは、時間と空間にも比せられる、先験的所与でしかないからであった。僅かに今世紀に入り、(決して本来の理念と方法で実施された訳ではなかったが)世界を東西に二分する「社会主義」の未曾有の実験が、この市場原理への例外的抵抗であったと理解できようが、この壮大な試みが呑み込まれてしまう程、市場原理は強大であった。市場原理が存続する限り「SD」確立の試みも同じ運命を辿るのであろう。市場原理が唯一の支配原理である限りとは、経済活動が全て個別経済主体のイニシアティブに委ねられている限りということに当るが、自由と競争の制限が市場の効率と利潤の極大化を損うことも、また、明白である。ところでこの市場原理は外部経済を許容し、経済行為自体に内在する外部経済の効果によって、社会的格差を拡大するのみでなく、資源枯渇と環境破壊を必然化した。即ち、市場経済に立脚した内部経済は、それとしては極めて効率的で利潤極大化の特質を有しながら、外部経済の結果、不可必然的に負のバランス・シートを結果していた訳である。もとより、市場経済を放置する限り枯渇と破壊は避けられないとすれば、やはり「SD」原理に悖るマイナス・シートは補正されねばならず、このための唯一の打開策は、効率的市場経済を維持したままで、「SD」原理に反してそこから発生するマイナス・シートに見合う損失を、「SD」原理に悖った(常に近似的でしかない)比率に応じて自動的に醵出埋め合わせを行うシステムを構築すること、このシステム構築は、強制によらず、自発的意思、合意、参画による人類大の自己変革の道となる。(不可能事ではあるが)「SD」原理に基づいた公正な市場がたとえ構築され得るとしても、そこに(自由と平等に基づく)「完全市場原理」が保たれなければ、市場メカニズムの効率性も自己調整機能も損われるであろう。「SD」原理に基づいた「完全均衡社会」の創出に代えて結果の平等を目指すことは日和見的ともとれようが、いわば「生産は市場原理に基づいて」、しかし「分配消費はSD原理に基づいて」ということを主張しているのであるから、全くの革命に相当し、人類大の普遍的価値に見合うグローバル大の「合意」と「組織化」なしにはあり得ないこと、デーリーが指摘する道義的資源の覚醒と動員が不可欠である。確かに自主自発性に基づく「普遍的秩序」の構築は不可能事に近く、現状では望み薄としか言いようがないが、課題の重大さはいかなる試みの断念をも許すものではない。人類の滅亡のかかる重大な課題は、実現至難な課題であることを重々留意しなければならない――。 |
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【註】 |
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(1) | Sustainable は「持続的」とも訳されているが「可能性」については十分でない嫌いがある。Development は即物的な「発展」と人間主体の営為としての「開発」の双方に訳されているが、“開発主義”とは無関係の、後者の意味を尊重したい。「持続可能な開発」を訳語とするが、引用等の場合はこの限りではない。 | |
(2) | 植田和弘・落合仁司・北畠佳房・寺西俊一『環境経済学』有斐閣、1991、1頁。 | |
(3) | D.H.メドウズ・D.L.メドウズ・J.ラーンダズ・W.W.ベアランズ三世『成長の限界』ダイヤモンド社、1972。 | |
(4) |
(@)J.Tinbergen and R.Hueting,“GNP and Market Prices.”in
R.Goodland,H.E.Daly and S.E.Serafy(ed.s), Environmentally Sustainable
Economic Development,Working Paper No.46, 36-42, Washington, D.C., World
Bank, 1991, in (A)P.Ekins,“‘Limits to Growth' and‘sustainable
Development'.” Ecological Economics,8 (1993) 269-288. p.277; (B)K.E.Boulding「定常状態の影」、ボールディング・E.J.ミシャン他『ゼロ成長の社会』日本生産性本部、1974、77−100、77頁。 |
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(5) | 二律背反とは「相互に反対・矛盾する二個の命題が同等の権利にて主張されること」『岩波哲学小事典』。「開発」と「環境」、「発展」と「持続」等、閉鎖システムにおける命題は常に背反的性格を帯びるのは当然であるが、本稿では「経済行為」自体、或いは、「SD」原理自体が自己に背反する機制を有していることについて検討する。 | |
(6) | 広松渉『事的世界観への前哨、物象化論の認識≈存在論的位相』勁草書房、1975他;西山俊彦「『もの』の諸相と価値基盤−社会学的立論への予備考察−(1)(2)(3)」『サピエンチア』第17、18、19号、1983、84、85、他。 | |
(7) | M.オルソン「序・ゼロ成長社会の考察」、 4(B)、1-28、6頁。 | |
(8) |
(@)ボールディング (4)-B、78-80頁;(A)加藤久和「持続可能な開発論の系譜」大来佐武郎監『地球環境と経済』 中央法規出版、1990、13-40、23-26頁;(B)J.C.J.M. van den Bergh and J.van der Straaten, “The Significance of Sustainable Development for Iidem, Toward Sustainable Development:Concepts, Methods, and Policy. Island Press, 1994, 1-22, p.2. |
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(9) | (@)ジオカタストロフィ研究会『ジオカタストロフィ上・下』NHK出版、1992、41、42頁;(A)坂田俊文『人類大破局』徳間書店、1995;(B)W.R.Catton Jr., Overshoot. The Ecological Basis of Revolutionary Change. University of Illinois Press.1980. | |
(10) |
(@)P.Ekins
4(A), p.280;“The Environmental Sustainability of Economic Processes
: A Framework for Analysis.”8(B)25-55、p.33;(A)F.Hinterberger, “Biological, Cultural,and Economic Evolution and the Economy/ Ecology Relationship.”8(B)57-81, p.70. |
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(11) | (@)H.E.Daly“Toward a Stationaly-State Economy.”in J.Harte and R.Socolow(ed.s), The Patient Earth. Holt,Rinehart and Winston,1971;(A)idem,“Toward Some Operational Principles of Sustainable Development.” Ecological Economics, 2 (1990) 1-6. | |
(12) | 素材資源と環境資源は同一物ではないが、本稿では、時として、双方を合せて資源または環境と記述する。 | |
(13) | D.H.メドウズ・D.L.メドウズ・J.ランダース『限界を超えて』ダイヤモンド社、1992、56、268頁。 | |
(14) | 「環境と開発に関する世界委員会」『地球の未来を守るために』(「ブルントラント報告」)福武書店、1987、73-91頁。 | |
(15) | 加藤久和 8(A)、29貢、(14)、67、78-80頁。 | |
(16) | 「平等」という観念理解が、他の観念理解同様、時代感覚、人権感覚にもとづいて発展することについては、西山俊彦「基本的人権と人間本性−理念史事実史への予備考察−」『サピエンチア』第21号、1987、1−26。価値基準による差異については | |
(17) | (14)、28、66頁。 | |
(18) | (14)、28頁。 | |
(19) | (13)、16頁。 | |
(20) |
西山俊彦「『持続的開発』原理の妥当性の抄察−『人間中心主義』に代る『万物平等主義』の可能性の一検討−」『英知大学キリスト教文化研究所紀要』第10巻第1号、1995、61−80参照。 | |
(21) | M.オルソン・H.H.ランズバーグ・J.L.フィッシャー「エピローグ」、4(B)、239−264。 | |
(22) | (14)、66頁。 | |
(23) | 植田和弘「持続的発展論の課題と展望」(8)-A、41-60、56頁。 | |
(24) | 西山俊彦「平和」(普遍妥当的秩序)定立課題と宗教集団」『サピエンチア』第27号、1993、437-459、(48)。 | |
(25) | (2)、31-120。 | |
(26) |
A.マーシャル『経済学原理』東洋経済新報社、1965-67;A.C.ピグー『厚生経済学』東洋経済新法社、1953-55; R.F.Kahn, “Some Notes on Ideal Output.” Economic Journal, March, 1935;熊谷尚夫『厚生経済学』創文社、1978、174-230頁。 |
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(27) | 少しく敷衍すれば「内部性−外部性の区別は枠組み基準の取方にかかり、それらは単位レベルでは『特定企業』「特定産業」「社会全体」と大別され、発生のメカニズムとしては内部要因の「相乗(殺)効果」と外部要因の「取込(排除)効果」が、又、その効果が経済主体と第三者に意識されているか否かに応じて「顕在的効果」と「潜在的効果」に区分されよう。市場取引の枠外に機能している効果とは希少性が認められていないか、公共財のように対価負担の対象となっていない資源の他に、投入−産出過程に(予期された通り)発生する相乗(殺)効果も、原理的に当然その一環である。発生過程は(1)当該企業の費用逓減(増)原理によるもの、(2)当該産業としての相乗(殺)作用によるもの、(3)“社会”全体としての相乗(殺)作用によるもの、に大別されよう。(1)は分業特化と規模の原理に等しく、(2)(3)は(1)を拡大敷衍した成長原理であって、これが経済的営為に内生的、内在的な原理であることを自覚するのが肝要であろう。もとより諸資源の帰属関係は、「専有」−「放置」、「有責」−「免責」、と一義的ではなく、人種、性別、階級、世代、国家、社会、 ……の勢力関係の恣意性に委ねられてきた。ここに搾取と収奪を許容し、資源(含領土)、環境、開発、公害等々、焦眉の課題を放置する因縁がある。」西山俊彦「外部経済の恣意的規定」「DDIV(第四次国際連合開発旬年)への認識論的前提条件」『経済社会学会年報』XV号、1991、97−107、103−104頁。 | |
(28) | 外部効果は、当該主体にとっての「順」効果を取込み「逆」効果を放置するものが中心であり、以後これらを合せて「外部効果」と表現するが、本当は、「順」効果を放置し「逆」効果を取込む「外部不経済」もない訳ではない。 | |
(29) | 「資源の減少や環境問題の多くは、経済的、政治的な力の差から生ずる。……それによって最も影響を受ける人々は貧しさのため、苦情を申し立てることができないからである。……」(14)、70頁。 | |
(30) | 森田恒幸・川島康子「『持続可能な発展論』の現状と課題」『三田学会雑誌』85巻4号、1993、4-33。 | |
(31) | (10)-@、34-39頁;F.ハーシュ『成長の社会的限界』日本経済新報社、1980、16-17頁。 | |
(32) | 「1750年のイギリスの炭鉱夫が、現在のトヨタの生産ラインを想像できなかったように、持続可能性革命以後の世界の姿を語れる者はいない。」(13)、285頁。 | |
(33) | (2)、44-47頁。 | |
(34) | (14)、67、20、28頁。 | |
(35) | (3)、158頁;(13)、268頁。 | |
(36) |
(4)-B、79頁;E.J.Mishan,
The Economic Growth Debate, an assessment, George Allen & Unwin,
1977, 257-267. |
|
(37) | 林雄二郎「序・ゼロ成長社会論によせる一つの試論」(4)-B、265-276。 | |
(38) | (7)、16頁。 | |
(39) |
(@)デーリー、(3)、164頁参照;(U)W.R.ジョンソン「貧困者とゼロ成長」(4)-B
185-237、186頁; オルソン (7)、16頁;(9)-@、46頁;(9)-A、83頁。 |
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(40) | H.ブルックス「ゼロ成長のテクノロジー」(4)-B 135-161、154、144-145頁。 | |
(41) | (9)-A、59-60頁。 | |
(42) | (39)-A、187頁。 | |
(43) | 松原望・森田恒幸「南北間・世代間の利害調整問題」(8)-A、75-84、80-81頁。 | |
(44) | 西山俊彦「文明論としての都市社会学の視角」『現代都市を解読する』ミネルヴァ書房、1992、16-40。 | |
(45) | 西山俊彦『宗教的パーソナリティの心理学的研究』大明堂、35-45、260-263頁。 | |
(46) | L.ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」『ウィトゲンシュタイン全集』T、大修館書店、1975、1-1。 | |
(47) | 西山俊彦「理念としての平和−平和学パラダイムの事例的検討−」『サピエンチア』第24号、1990、325−346。 | |
(48) | 西山俊彦「平和学の創造−抄約−」『平和研究』第12号、1987、151−164;「科学的社会学定立への基本用件−現代『社会の危機』と『社会学の危機』超克への一提題−」『ソシオロジー』第35巻第1号、1990、71−89。 | |
(49) | 島津康男「自然と人間の均衡」宝月欣二他編『環境の科学』日本放送協会、1972、361−394、384−385頁。 | |
(50) | 唯是康彦・田村眞八郎『食糧危機』ダイヤモンド社、1974、32−34頁。 | |
(51) | (3)、169頁。 | |
(52) | (9)-A、103頁。 | |
(53) |
(@)W.Beckerman, “Economic
Growth and the Environment;Whose Growth? Whose Environment ?” World Development, 20(4), 1992, 481-496;(A)E.J.ミンシャン「病気・悪・不快−成長の代償−」(4)-B、 29-76、37頁;(13)、207-243。 |
|
(54) | 市場メカニズムが枯渇した資源と破壊された環境を、特に過去に遡って、回復させるものではないことは二律背反の明示するところである。 | |
(55) | (14)、35頁。 | |
(56) | (14)、37、255頁。 | |
(57) | (13)、154、245-278貢。;(9)-@、9-11、26、44、48貢;(9)-A、80-88、104頁他。 | |
(58) | 西山俊彦「DDV(第三次国際連合開発旬年)と社会科学の課題」『経済社会学会年報』]I号、1989、266-273他。 | |
(59) | (9)-@、18頁。 | |
(60) | (9)-@、41頁。 |