西 山 俊 彦
 
     


7月10日(水)

 

    


 

 11:30 Ipeti(水という意味)の Misioneras de la Madre haura、いわゆる Lauritasの家へ、
 識字教育、母親教育、カテキズムを実行する新しい型のミッションとか、コロンビアから来ている小柄  
 の Lusiniaシスターに会う。手を洗わせて貰う。ここでは留水システムとプロパン冷蔵庫がある。
 小さな聖堂、そこにパテナとカリスを象った祭壇が印象的だ。
 Lierto 12歳と、Roberto 12歳の男の子2人が来ていた。皆小柄。識字教育のテキストを見せて貰う。
 ここでは Embela語を話すが、道の向うは Cuna語を話すとのこと、道一つの違いで言葉まで異なるとは…
 




   11:00過ぎ、向かいの Ipeti 部落を訪れる。

道の向うではエンベラ語だが、こちらではクナ語を話す

   


   女子は鮮やかな胸飾りの服。
   小柄で 12、3歳にしか見えない子供を抱いた
   母親が一緒に、重婚なのか複合婚なのか…。
   居室にはハンモックと一杯の洗濯物、
   台所は別棟、青いバナナにきざんだ鍋、
   決して清潔ではない、トイレはどこなのだろう。
   写真は嫌う。
   2教室ある学校の先生(女性)に出会う。
   学校のお蔭で子供達はスペイン語を解す。

 

  

  Cunaは伝承により大宇宙の説明原理を有するとのこと
  胸飾りの一部に当るものを5ドルで買う。
  今一つは 20ドルといわれてやめる。
  こういうものを買受けるのはいいのか悪いのか…

                    笑顔はシデラ師 

 

        



    

     Ipetiを離れ1時間で昼食、この村の食堂は何もかもカライ。清潔なのだろうか。
     Sidera師はおかまいなく何もかも飲み込む。
     Lisaがそれを察してか自分のフォークで煮豆を取ってくれた…。



 

  15:30 Los monos, Embela Indianの幼稚園を訪れる。Sidera師が拓いたものだ


ベリーを出した先生、制服で歌ってくれる幼児、彼らのイモムシ演技はまさに本物。それを取囲む母親子供は皆若く、尋ねたその母親は14歳だった。
Sidera師は園児だけにピーナツをくばり、その他大勢の子供達には見てみぬふりをする。仕方のない教育上の処置なのだろうが、こちらはハラハラ…。
 

   ロスモノス部落
    ここの住居は上床式、僅かばかりの道具は汚れ、
    勿論電気も水もなく、窓も壁もない。
    蚊の侵入など問題にならないのだろうか。
    ここでも写真は嫌う。皆ハダシだ。
 

 

   
      

 

    

      

  


  水浴び洗濯は近くの小川で、そこへ通じる坂道は
  よく踏みならされてはいるが、
  決して清潔とはいえない。

  ナザレの周辺もかくの如きものだったろうか…。

   
    
     
…文明から程遠くとも笑顔は同じ

 

  14:30 Santa Fe着、Metetiに次ぐ中心と聞くが、日本流には
  戸数 2、30軒の閑村、でも役場、施療所、軍の駐屯所がある。
  Sidera師はここでの将来構想を熱心に説く。
  ひよっとするとこの3女性が一緒に働いてくれるかもしれな
  いからだ。…

     村の出口にはお墓、そして墓標に十字架を認めた、
     多くはアニミスティーク信仰だというのに。
     沿道には 3、40キロごとに Sidera師が建てていった
     分教会用の小屋もあった。…


 17:30 Meteti着、準備万端待ってて下さった Felipeさんが早速冷たいジュースのサービス、またお腹が
 悪くなるのか、でもこの好意をどうして断われよう、体をこわしてももういい… 2杯も戴く。
 18:30 未だ生徒が一杯の学校をのぞきながら、研修センター Centro Claretに行き聖務日祷、Quipoの
 高木が天をつらぬくダリエンの丘の“夕べの祈”のすがすがしさ…。
 19:00 教会に戻ったところで発電機がうなり、電燈が点った。土色豊かにお花の生かる聖堂で集まった
 信者達とロザリオ一環、青年達もいる。ちょっと述べた、召命の素晴しさを一言加えて。
 20:00 夕食、ケチャップご飯とオムレツのご馳走、たくさん戴いた。
 食後も Sidera師は Lay Missionaryに地方の情況を熱っぽく説く。
 21:00 Centroへ戻り、すぐ床に入るが(電燈もないので)、なかなか寝つかれない。
 彼女達もそうなのだろうか…。
 

   


7月11日(木)

    5:00 起床、早速教会へ。メテティの夜明けは何ともいえない。
  ヒヤリとした肌ざわりの涼気は未だ闇の中、ニッパヤシでおおった家のそこここに灯りが点りだす。
  人影はまだ見えない。名はさだかでない色鮮やかな草花と棕櫚の小山、徐々に朝もやが動いてみえる、  
  と、静そのものの村が刻一刻と姿を表わす…。
  教会に着いてどれ位経ったのだろうか、早や灯りも見えなくなり、これで一日の始まり…。

  5:40 朝食時、Lisa のヤッケがネズミにやられたことを知る。
  小生持参のチーズとビスケットも同様だった。
  6:15 出発、またあの Pan Am Hightway 225キロをブットバスのか!
  ・・・・・

 

   
          7月13日(土) ベネズエラ

          コレジオ・クラレからカラカス市を眺む

  
     
    
  7月14日(日) カラカス


  (上) オッセルバトリオ付近の住宅群
     市民の60%以上がこのような家に
     住むという 
 

  (右) 新しい建築もどしどし、
     石油はタダみたい
 

  (左) カテドラルに隣接している
   
  Palacio Nacional
     近くの宝くじ売場には長蛇の列が…

    



 
  


     

 
   


   

 
  7月15日(月) トリニダド・トバゴ


   しかし、ランチョも、ナザレ養老院など
   独自で福祉事業を推進するビンセンシオ会の
   S.ソロモン氏、G.ウッドラック氏と一緒に歩いた 


 

   カトリック・センター付近から見る
   無原罪の聖母カテドラル
   GNP 6,840ドルはとび抜けて高い
 

   




 
   

   7月17日(水) マルティニカ


    
    フォード・フランス カテドラル

   出発前の気忙しい中を主任 M.Méranville師は
   カメラに納めて行けと言う!


   6:45 からのミサには信者が一杯
   メランヴィル師の温かい言及に感謝
 

 

 
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