【註】 |
(1) |
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R・ジョルダーノ『第二の扉』白水社、1990。 |
(2) |
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『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言 Nostra Aetate −NA−』1965、(2)。 |
(3) |
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『信教の自由に関する宣言
Dignitetis Humanae −DH−』1965。 |
(4) |
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筆者が取扱った「憲法第九条」の正反相対する解釈(「『神の国』と『地上の国』の平和主義」『サピエンチア』第29号、1995、603-625頁)も“平和のための戦争論”の矛盾(「理念としての平和」『サピエンチア』第24号、1990、325-346頁)も、同様に、規定の恣意性の一例であった。 |
(5) |
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本稿では主題の一部分しか取扱うことができないため、主要概念規定は、その都度、当該箇所で行うことを容赦されたい。 |
(6) |
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戸村政博『神社問題とキリスト教』新教出版社、1976、26頁。 |
(7) |
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日付については他日との諸説がある。伊藤修一「日本カトリック教会における戦争協力への軌跡――
1932年カトリックの靖国神社参拝拒否事件とは――」日本カトリック正義と平和協議会『「教会の戦争責任」を考える』1992、25-29頁。 |
(8) |
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高木一雄『大正・昭和カトリック教会史――
日本と教会2――』聖母の騎士社、1985、246頁。 |
(9) |
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『上智新聞』第203号(1984・1・1、第4面)は“靖国神社参拝拒否事件、上智の根幹揺るがす、ドキュメント昭和7年の痕跡”を特集している。 |
(10) |
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伊藤修一「前掲論文」26頁。 |