西 山 俊 彦

      
   


6月3日(月)

   6:00 起床、7:00 一人でミサ、2ヶ月近く亘ったワシントン滞在からニューヨークに移って三日目、午前は連絡と雑務、13:22 コロンバン会のある Bayside から LIRRで NY へ。やはりニューヨークの喧騒はスゴイ、人々が、自動車のクラクションが、屋台が、そして世界の経済と流行の先端が雑然とひしめきあう。いやこれだけ異種の物と人が集まっていて暴動が 起こるわけでもないのだから雑然ではなく整然とでも云うべきか。懐かしの Empere State Building をくぐり抜け、国連代表部のある UN PLAZA 866へ。国際政治の中枢だけに警護は周到、軍縮関係担当の齋賀一等書記官の話しを伺う。
内容は米ソ中心のPower Structureをまざまざと。歴史的憲章をかかげる国連の現実がこの有様では外交官もさぞフラストレーションを感じられるのでは… 平和を真に求めるには小生も空しさに耐えつつ頑張らねば、と思う。帰宅ひと寝入り後、礼状一筆、そして米司教団 Ec- onomic Pastorel 起草委員長
Most Rev.Rembert G.Weakland, O.S.B.アトランタ大司教のCatholic Social Teaching and the U.S.
Economy を読む。スゴイ、表現までもが…!
世に福音の光をともす教会の立場をここ迄ハッキリ云い切るとは全く敬服、責任ある立場にいない人ならばまだしも…。 早や23:57、でもこれからスペイン語をやらねば!
 

 


6月4日(月)

   6:20 起床、7:00 一人でミサ、旧友その他に電話後、11:20−13:30 マッハッタンの“Jesuits on Wall Street”に Fr.Neil Doherty, S.J.を訪れる。Wall街に福音の光をと二年前に開設された新しい試み、Weakland大司教の論文もここでの講演をプリントしたものだ。Wall街では若い黒人 Messenger Boyの案内を受ける。 Lexington Ave. Expresss車中で話した二黒人高校生の一人は中国語をやると云う。隣席の若い中国系女性も親切だった。皆いい人ばかり…。14:00 48−49Ave. 16階の日本領事館へ寄る。ビザ申請者でゴッタ返している。多勢押寄せ応対は大変だろうが、第一印象は大切。14:35 UNインフォメーション・デスクで国連バチカン代表部で活躍のSr.Janet Richardsonに会う。友人二人も一緒だ。
打ち合わせをしてから、Technology  &  Science予算院会でPax Romana代表 Dr.Hilary Lee氏に会う。あわただしい。15:30 20East Ave.72 St.の国連バチカン代表部に Giovanni Cheli大司教を訪れ、Msgr. G. De Andreaとも挨拶。
出して下さった冷たいオレンジ・ジュースの何とおいしかったこと。17:00 国連ビルに引返し31階で長年軍縮委委員長を務められた Dr. Alessandro Corradini氏に会う。最初はどうしてか噛合わなかったが、終りはよし。18:49 NY発の列車で Baysideへ…夜 Cheli大司教への Interview依頼状などを認め、早や 24:20
 

  


6月5日(水)

   6:10起床、朝食後 G.P.Schultz の Shaping American Foreign Policy, New Reality and New Way of Thinkingを読んで、12:22 の列車で NYへ、NYでインタビュー用テープを求めてフト入った店では、ヘブライ語を話していた。先ず PAN AM でベネズェラ入国に必要な Tourist Cardを入手、14:00−15:00 ヴァチカン代表部軍縮問題担当のSr.Majorie Keenanに現況を伺う。…やるせない思いを抱いたのは小生だけだったろうか。15:30 1011 First Ave.にある Catholic Relief Service, CRS,の Sr.John Hart, O.S.U.の下へ。沢山の Appointmentsを確定してから、NY大司教区の宗教事情を分析している Mrs.Ruth Doyle 成田さんに会い、又、Cardinal O'Connor の事務所にも立寄る。帰路 17:25の LIRRに乗ったところ Bayside を通過、Great Neck迄行ってしまう。帰宅が一時間遅れ責任を転嫁することしきり―
何せ、表示が悪くて少ない、出発ホームがギリギリ迄判らない、出発時刻も正確でない…等々。
実は朝夕数本急行が走っていることなど思いもよらなかったのが本当の理由なのに―。
帰宅後、7月訪問予定の St.Louis大等関係者に数通手紙を認め、24:00就寝。
 

      


6月7日(金)

   5:20 起床、6:00 一人でミサ、直ぐ NYの Catholic Centerへ。8:50 CRS, Latin America担当の Peter Shiras氏に Interview、どうも話が乗らず質問が政治に片寄ってしまったのは朝早いためだろうか…。10:30 Sr.John Hartのデスクを経て、Ricardo Osborne氏によるブリーフィング、アメリカ担当の彼の氏の話は事例紹介が中心、人あたりがよい。12:30 ジャマイカ領事館でビザ取得、13:00トリニダド・トバゴ領事館にビザ申請。トンチンカンも重ねながら、14:30再び CRS、タイ担当 J.M.Klink氏、パキスタン・インド担当 R.F.Kocienda氏、Fr.R.L.Charleboisに Briefing・Interview、Martin Jenco氏の件は難しくよく祈って欲しい。又今、ベイルートで働いていた CRSの Atta Taleh氏が4日爆死したテレックスが入った、などをも聞く。アフリカ担当 Ms.Joan Mitchellからは体験談を、National Council of Cath.Women の Sr.Joan Gartland(かなりのお年、しかし口紅が鮮やか…)には井戸寄付実践の話を聞く。17:00 Carnegie Hall, Central Parkをテクッて 18:49 の LIRRで Baysideへ、20:30−21:50 Fr.Meehan, S.S.C.達と Mets−Cardinals、Yankees− Brewers戦同時中継を TVで…。
 

  


6月8日(土)

   6:50 起床、今日はユックリ休んでやろうと予定の行動、ミサは“Atta Talah氏、Martin Jenco師と CRSの全ての人々のため”午前に Foreign Affairs誌、D.Fromkin, J.Chaseの The Lessons of Vietnam ?、午後に C.W.Kegley,Jr., E.R.Wittkopfの The Global Agenda Arms and Influences, Quincy Wrightの The Canses of Warを読み、パキスタン・インドの訪問先への手紙を認める。
23:00 2階でシャワー、何せ明日は St.Patrick'sで…。
 

  


6月9日(日) 

   ご聖体の祝日 5:45 起床、聖務と黙想を少々、7:15 朝食後、Q13バスで Flushingへ、Subway 7 に乗換え Grand Central Stationへ。途中 Metsの本拠地 Shea Stationへ。途中Metsの本拠地 Shea Stadiumが目にとまる。一度でも Major Leagueを観戦できるだろうか…。

 
    9:30 St.Patrickカテドラル着
 Msgr.Nortonから今週のWashington, D.C.の会議で社会問題を検討
 したこと、また、原爆40周年記念式典には司教 4−5名を派遣する
 意向、を耳にする。
  10:00 Card.John Joseph O'Connor主式のミサに参加させて貰う。
 大柄でいかにも雄大、他は南アフリカ共和国からの司教とAlvaro  
 Corrada, S.J. Washinton,D.C.新補佐司教が共式、説教で小生の
 こと迄言及して下さったとは恐縮。…
   12:00 Puerto Rican Day、カテドラル前の Fifth Avenne は
 青・白の風船国旗で埋まる。小生も片言のスペイン語を使ってみた。
   12:50発の急行で、MaryKnollへ懐かしの Fr.John Martinを訪ね、
 Ossiningへ向う。Hudson川は洋々として大湖の風情、13:35着、
 Fr.Hoffman友人の McNamara氏が迎えに来て下さると思ったら、
 息子の Tomが、見ればベトナム養子、17歳。開口一番、彼は言った。    
   “We are 13. So, do not be surprised
          even if a little messy.…”
 その通り、居室は独特の臭いが漂い決して綺麗とは云えない。
 そこに Thomas, Joseph, Dan,… いるわ、いるわ、実子2人を含む
 男7、女6人の子供たち、…さまざまな境遇の子供を実子として養
 っているのだ…。この事実を前にして最早何も聞く必要はない。
 事実は何と雄弁なのだろう。
 

   ご聖体の祝日・プエルトリカンデー
  聖パトリック・カテドラル前の五番街
   青・白の風船で埋まる。
  小生も片言のスペイン語を使ってみた
 

 

    


6月14日(金)〜16日(日)

   Fordham大学で催された Association of Catholic Colleges and Universities、1985 Conference on Peace and Justice Educationに参加、カトリック大学関係者のみでなく、国連平和大学 Rodrigo O.Carazo学長、Nathonal Peace Institute財団 Robert J.Conlan事務長とも面識を持つ。

 
  6月16日 全米カトリック大学連盟主催
 「1985年 平和と正義教育会議」の持たれた
 ニューヨークは Fordham大学。
 この緑を前にして一人飲んだ Root Beerは、
 格別だった!
 
 


6月20日(木)
 

 
          

 

 
1965年 セントルイスを離れる際、Mary Marschner 二人の
かわいい小学生が、レモネード売りをしてくれた。
その彼女がこんなに大きく… 右にはご両親
 
 


6月24日(月)
 

   米国最後の一日、フロリダは美しいサラソタ市 … 

       19:00から Mary(Mr.& Mrs.John E.Steiner夫妻、1950年来の大恩人)手作りの夕食、
       スープにサンド、ケーキ、それにブドウ酒もなみなみと、…
       たくさん食べ、飲んでしまった。断ちがたい思いをカメラに納め、
       23:00“宿舎”聖マルタ教会へ John愛用の Lemansで… そこで今生の別れ…。
 




 

1950年以来の大恩人 Mr.& Mrs.John E.Steiner夫妻と別れの晩、今や何も口にすることはない

       しかし、8月19日からルーヴァン大学で催される世界宗教社会学会議での発表補足データ作成… 
       午前2時半、もういい、とにかく休もう…。
 

  


6月25日(火)

       4:30 起床、小チャペルで一人ミサ、“John & Mary、本当にありがとう、
      そしてお世話になったすべての人々にも…”
       6:20 今生の別れを告げたはずの John & Maryが玄関先に… 彼らも疲れているのに…。


   6:30 Ambassador Limousineで Tampa空港へ、空港は最新、広くて便利、そして美しい。PAN AMカウンターで紙片を無心し、ニューヨークの Haffman神父とフィラデルフィアは Burger先生ご両親に写真と一筆。これからラテン・アメリカか…。
2時間45分の旅を経ていよいよメキシコ上空へ、スリバチ状の小山が点在し、それを取り囲むように田畑が広がる。インカ文明を偲ばずにはいられない。入国手続きを経て昼前、日本びいきの若者のタクシーで Gabriel Mancera 415の“宿舎”Sagrado Corazon de Maria教会へ。立派な 客室、しかし、ここも喧しい。ひと休み後、14:00昼食、どれもこれも土地の香りが…、しかし小生には少々カライ。会話は上手くいかないが、人々は親しみ深い。何故か電話連絡も上手くいかない。19:00ちょっと窺いたミサの歌と祈りには素朴さとラテンの伝統が…親しみを覚える。後一人で夕食、温かい牛乳に、ビスケ、バナナ、マンゴまで食べた。少々贅沢かな…。
 

 


6月26日(水)

   …午前には、El Colegio de Mexico田中道子さんとニカラグア領事館に赴きビザ申請、同時に米貨25ドルを支払う。
後 Cardora17番地の Guadalupe Missionerosを訪れ、小奇麗なチャペルで初めてスペイン語でミサ、  
  “メキシコの全ての人々に豊かな神の御恵みを。”
和泉邦安神父さん方と昼食の後、別室でひと休みさせて貰い、15:15 Navarro神父の車で、Magnolia39の Centro de Estudios Economicos y Sociales del Tercer Mundo第三世界研究所の Dr.Jorge Serano博士を訪れ、14:00−17:25ラテン世界からの見解を伺う。しかしこちらの質問の肝心なところには巧みなボカシにあう。勿論深追いはしない。
Seranoさんの案内で7時前から田中さんとの待合わせに Sanbornes前に行く。店先にインディオ母子の土産物売り、思わず人形一つを300ペセタで貰う。田中さんとは車で日墨会館へ、異国に見る日本庭園は広々と落ち着いたもの、最近完成したばかりの燈籠に点燈して戴いて恐縮。夕食はシャブシャブを存分に食べて 5462.50ペセタ+600.00のチップ、Visaカードが使えて大助かり!
22:30メトロで帰り、Sergio Aguayo教授に電話
 

 


6月27日(水)

   …… 9:40 ニカラグア領事館でビザを受取り、待たせてい同じタクシーで Durango通りの教区事務所に福祉担当責任者 M.A.Quevado広場からペセロ(乗合タクシー)でEl Colegoi de Mexicoへ、初めに会った少壮学者 Agusyo教授の応答はマジメなのかどうか… でも最後は正気で前途を約して別れる。立派なカフェテリアで日本語担当教授栗飯原淑恵さんにお昼をよばれ、13:00 Rudolfo Stavenfagen教授と会った後、Libreriaで当大学院大学教授陣による開発関係著書を16:50まで渉猟、10冊を P.7240で購入、発送依頼した。値段は論外だがワシントン、ニューヨークから送ったものとは格段に安い。図書館を見せて貰い、米出発直前に依頼された英知大学図書館からの書類のコピーを取る。しかしこの忙しさでは何ができるだろう…。帰りはやはりペセロとメトロ、地下鉄エチオピア駅を出る階段に小っちゃなチューインガムを並べてしゃがみこんでいる男の子、気の毒に思う。いくらと聞くと20ペセタ、お金は渡したがなかなかくれない。そこで手を出したところ、自由に持って行けとの合図…、見つめてみると実に冴えない疲れ切った顔色、8、9歳位だろうか… そういえば、先ほど席を譲ろうとしたとたん行ってしまったメトロの視覚障害者もヒョッとすると物乞いではなかったろうか…。メキシコ市ではいたいけない子供の物売りが目立つ…。
 

 
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