西 山 俊 彦

  
    


7月2日(火)
 

   3:30 起床、4:00 2階チャペルで一人ミサ、“メキシコの人々に感謝、平和と繁栄を”と祈る。
5:10 若いスペイン人宣教師 P,G.Fernando Brinseňo師に空港まで送って貰う。
既にカウンターは溢れている…。
 
   9:25 山間の坂道の空港 Guatemala City着、空港は一見華やかだが閑散、赤帽はここでも近寄ってくる。彼等も生きなければ、しかし、小生一人でかなりの Iuggageは大丈夫…。P.Garcia師の出迎えを受けて、大神学校に出寄った後、クラレチアン神学院へ。

 

   

  ガテマラ着、陽光眩しい街角はガランとして侘しい…
  しかし神学院にはあの熱帯風の小屋が

路面までもが現況を語っていると言ってもいいのだろう

  
陽光眩しい街はガランとして侘しい。道にも家にも貧しさが偲ばれる。しかし到着した神学院には絵で知る熱帯風の小屋が、庭木も同様に実に美しい。早速各方面と連絡、連絡が取れないのが一番もどかしい。それでも“No hay problema”と言われるが、それこそ小生にとって大問題。14:00から大司教館で
Próspero penados del Bario大司教、Magr. Efraim Herran dez総代理他に会い、E.A.Campos神父を
Latino-America病院に見舞う。18:30−19:30 MaryKnoll Houseで聖書学の John McGovern師の見解を得る。教会責任者はおしなべて慎重な態度を堅持しながらも、確固とした見解を披瀝して下さった。
20:10 帰院、夕食後、スペイン・ベルギーへの手紙を書き、冷たいシャワーを浴びた後、22:30 就寝、疲れた…。
 

     


7月3日(水)
 




 

   5:40 起床、神学生と聖務を共にし、6:40 スペイン語でミサ、使徒トマのように主の傷に触れ、人々の心に触れなければとイタリア語で語り、“よき神学生、よき司祭の召命”を祈る。

10:05 教皇庁大使館で一等書記官と詳細な話、
11:30−12:30 Caritas Guatemala 責任者 R.Monterrosa Salinas氏に現況を聞く。厳しい状況の土台には貧困がある。
15:55−Caritas Aruidiocesana責任者スペイン人宣教師 P.José A.Marquez, OFM Cap.に会い、“世界一のガテマラ・コーヒー”を戴きながら現況を聞く。

         ガテマラ
   生活は貧しくともささやかなものを
     大切にする人々の心は同じ
 

 

   

         見るものも聞くものも希望を呼ばないが、直後訪れたその教会には子供達がいっぱい、
                     一斉に笑顔で迎えてくれた。


 

        
         


この3月新しく出来たばかりの Pablo-JuanU小児病院に
案内される。建物は立派だが中味は殆んどこれから…。
日本からの援助の取次ぎを頼まれる。道にはブラブラする
しかない無為の人、酔いだおれ、行きだおれのような人が
実に多い。ガテマラでもたくさんの兄弟が抑圧と貧困の中
で喘いでいる。


 
 

20:15 帰院、一緒に廻った神学生 Felipe、Hermanaと夕食、昨夜から蒸留水は飲むことにしたが、蚊の出入り自由の熱帯風の部屋だけはどうにもならない。早や今宵も 23:40、…。
 

     


7月4日(木)

   4:10 起床、5:45 チャペルで一人ミサ、“Guatemala 社会に主の恵みを”と祈る。
6:15 Felepe, Pedro と空港へ、離陸料20Quetzal、手荷物重量オーバー17ドル、毎回こんなことでは大変、何とか対策を坑じねば… 

現地時間 9:30 Managua着、空港には Bienvenido a la Patria del Sandclinoとあり銃を手にした兵士の姿が目立つ。タラップを下り歩いてターミナルへ。入国手続きに先立って60ドルの強制換金(ここでは実勢の1/4のレートとか)、手続きは繁雑だが応待は丁寧。スペイン人宣教師 P.Luis Azufro師の出迎えを受け、彼のトヨタで Las Palmas教会へ、車はかなり痛んでおり部品の入手は不可能だから2・3年先にはどうにもならなくなるだろう。飛行場からの道路のあちこちに戦車が陣取る。市の中心部はマナグア地震で崩壊したまま、カテドラルも原っぱに無残な姿をさらす中に Palacio Nacional議会だけは偉容を誇る。

木曜日の午前註なのに家の前に佇む多くの人影に失業・貧困の様態が察せられる。Las Palmas到着と同時に諸方面との連絡… しかし電話がどうしてもつながらない。どうしてだろうか...。

14:30−16:10 Caritas Nicaraguaで Luis César Nieňez氏に現況を聞く。若くて精力的、しかし話の途中何回も中座…、細心の注意を払う事情はこちらが理解せねば、と思う。トラック、ジープ、通信機器等日本のカリタスからの援助取次ぎを頼まれる。

Sandiniata政府側、Contra反政府側を問わず、相互に 抗争破壊している国に援助は矛盾、と水を向けると、Caritas Nicaraguaは中立であって、そこに多くの困っている人がいるから活動しなければならないのだ、との答えを得る。16:30−18:30 日本大使館で西山書記官、泉参事官から状況説明を受け、川出大使からは赤十字を通して医薬品と井戸掘りの援助をしたい、また、ニカラグアはアメリカの前庭などと遠慮をしないで、日本は独自の積極外交を展開すべき… との見解を伺う。21:30 今日は早い就寝、これで背骨の痛みも消えればよいが…。
 

    


7月5日(金)

         
6:20 起床、6:45 から教会の3人の司祭は共同で聖務日課を…
           小生は一人でミサ 7:10“ニカラグアに平和と恵みを”と祈る。
           8:00 朝食、たくさん出して貰っているが申し訳ない。
           外務大臣 Miguel D'Escoyo師へは連絡が取れない。
           午前は急速と Georgetown大、Central American
           Historical Instituteで入手した『 Envio 』等ニカラグア関連文書を読む。
 



14:20 外務省と連絡が取れ、
14:40−16:20までアジア・アフリカ当局 Myrna Torres Rivas女史の説明に耳を傾ける。
中年を過ぎようとする精悍なインテリ、米国の侵略政策、Obando枢機卿の Contraとの一体化、経済の現況等を強調。外相は少々病気なのでとのことわりを得たが、昨日の電話では外国旅行中のはず…   
小生からはもっと自由と対話を実行せねば、と注文。…




 
  ニカラグ・アマナグア市

   (右) ロスパルマス教会横の住宅群、小生が近づくと笑顔を作ってくれた
   (左)広い道路にわずかの自動車、そしてHelado売り
 


17:10−19:30 Cindad Sandino の MaryKnoll女子修道院を訪れる。皆不自由しているに違いない、何かお土産をと思い公営 Tiendaに入るが、買えそうなものは石鹸くらいなので断念。ギュー詰めバスで坂道を 30分余り、途中の Laguna火山湖は深々と神秘的にさえ映る。要所には愛国徴兵の大きなアド…。
バスを降りたとたん、ハダシの少年が近づくが、一緒に来た婦人の目くばせをよいことに行き過ぎる。ほこりっぽい道を群をなして語らい行く婦人達、声を掛けると恥らいながら緑色の小さなみかんのようなものを一つくれた。口に入れるとヌルヌルと甘酸っぱい。修道院を探しながら仲々行きつかない。
皆貧しい。汚水が腐り、豚と共住…、でもここはまだいい方だという。宣教師のご苦労が偲ばれる。
 





 
ニカラグア・サンディーノ市

 (上) 大通り
 メリノール修道院を探ねて


 (中) 皆、貧しい
 汚水がくさり、豚と共住、
 でも、ここはまだいい方と
 いう…


 (下) メリノール修道院を探
 しながら路地を行く
 写真を撮ってくれと云われた   
 が、住所も教えず、送ってく 
 れとも云われない
   

Monja Maryknollは大きな家に住んでいると教えてくれたのに、来てみればそんなものではない。しかし不在! 一筆認め持金少々と一緒に置手紙とする。隣りの家に夕食中の母子3人。2つのボールに僅かばかりの中味…。帰りに、道端で山と積んだパンをさばくヤミ?自由?商人に出くわす…。
片道3Cordoの Autobusで再び Managuaへ、バスはブラジル製で運転手はねじりハチマキのスピード狂! 
ノート1冊を小脇にかかえた隣席の娘さんは哲学専攻の大学生とか…学習所ようのところで降りる。…
帰宅後、23:30就寝。
 

 


7月6日(土)
 


 

 
 5:40 起床、ミサ後、8:00−10:10まで反政府系自由新聞 La Prensa編集長 Jaime C. Chamorro氏を訪ねる。家柄のよさを表わすかなりの私宅、チャモロ氏は葉まきをくゆらせ令嬢 Sagrarioさんには香水の香り、ただし朝食はいたって簡素、現政権の数々の矛盾を指摘し自由経済の復興を強調する。小生は一部の者だけの自由に終わらない公正な分配と改革の必要性を説く。… 終わりに彼氏は、
   “We Nicaraguenses alone cannot achieve much”
と付け加えた。その通り、ニカラグアにも結局は国際政治と国際経済に左右されているのだろう。Chamorro父娘の安全を祈らずにはいられない。

 

 


Card.Miguel Oband y Bravo に会うために 12:00−13:15 郊外の大司教館へ。途中バラックとも言えないランチョ多数、そして宏壮な米公使公邸。しかし革命指導者 Los Nueve Comandantesも宏壮な家にいるという。道路ぎわに“Revolución si, perocristiano. PPSC-Patido Popular Social Cristiana革命は必要、しかしキリスト教的な革命を”の看板。

   


大司教館にはひっきりなしの来客、医薬品を特別機いっぱい積んでやって来た米下院議員2人とその関係者も。カルディナルとの会見は1時から約 15分、他の重要 Interview同様テープに納めた。人権に基づく教会の立場を強調されるが、少々右よりの感じも…。“Revolucion si, pero cristiano”についてのコメントを求めると、これを肯定…。14:00 帰着昼食後 15:30 まで昼寝、蒸し暑く疲れる。そういえば午前中の雨は実にケタタマしかった。16:50 教会へ出てみる。明日はカルディナルの公式訪問の日とあって、82歳のスペイン人宣教師 Vicente Cerezo師も青少年と大変にハッスル、一面がニカラグアで他面がバチカンの小旗多数も出来上がっている。…彼師は付け加えた、準備に明けくれるこの聖堂の蛍光燈も切れれば、もう換えが手に入らない、と…。司祭館前に IsabellaとRosaの2人、イサベラは8歳で11人の兄弟があり、ローザは6歳で10人兄弟、ともにハダシで買物に行く途中という。“我々は Pobresで一度もお腹一杯食べたことがない”と言った。いたいけな幼子なのに… 彼等が行った後で Azufro師は指摘した。“皆、大家族だ。ニカラグアの結婚の75%は教会法的には無効… 何回も何回も結婚し、特に貧しい女性は何回も捨てられるのだ…”と。やりきれなく感じる。… 19:00−21:00 Luis Aviles師のミサに参加させて貰い、“ニカラグアに信仰を、平和を”と祈る。参加者は300人位、よく祈り、ギター・太鼓でよく歌う。実によく洗練されている。ミサ後、祭壇を囲む見事なダンスに惚れぼれ…。
21:15 夕食、23:20 就寝。
 

   


7月7日(日)

   6:10 起床、7:40 朝食、早速 Sangre de Cristoのお祝いが催される Catedrel近くの公園へ、補佐司教司式のミサは始まっていた。ミサは青年達の指導する歌と祈りに終始、しかし行列には、ドギツイ飾りの十字架像、それをゆする一団と稚児連、取巻きの群衆、焼魚のニオイと爆竹の連続… Folkloreの香りでいっぱい...。直射日光はまことに厳しい。不思議とここではカチワリ氷、Cokeでさえも売っている。そして1本の何分の1かをビニール袋につめ代えて渡す。

典礼奉仕に来ていたカルメル会修女2人は言った。
  
ニカラグアは3つを愛す
“El Sangre de Cristo, Purissimo Corazon de Maria, y Cardinal”
  
(キリストの御血、汚れなき聖母の御心、オバンド枢機卿)

      
   


行列には加わらず、Hotel Continental Managuaへ向う。先に Rovas女史に奨められた“Revolucionarios por el Evangelo”を購入するために。250 Cordoba、約10ドルだった。
見事なプールをも見とどけた。しかしこのような場所は小生の来るところではない。
 

   炎暑射す日曜のお昼前歩いて Los Palmasへ… 
  ソコココの道ばたにゴロッと横たわる人、ねだる子供…   
  実にわびしい気持ちに襲われる。
   フト見上げた青空にマリンセの花の美しさ、
   思わずシャッターを切った。
  11:00 帰着、

    

12:00−13:00 オバンド枢機卿公式訪問のミサ、小生も参加し“ニカラグアの国民と教会に平和を”と祈る。信者はほぼ1000人位か。枢機卿の自信と威厳、盛大な音楽…。ミサ後も余りの歓迎にカルディナルは教会を出るに出られない有様、司教館での“パーティ”に出ていたご馳走は、きっと皆が無理をして作ったのだろう。ガテマラ神学院で勉強中の Pedro君兄姉3人も遠くから駆けつけてくれた。
 

15:30 神学生 Gonzalo君と2人で進歩派指導者 P.Ulier Molino, O.F.M.師の St.Maria de los Angelesへ、祭壇中央に掛かる『漁船・キリスト・群衆・弟子』の大画が全てを語る。しかし不在。

   
    Sagrado Corazon de Jasusにと言われ、そこへ。そこで Miguel D'Escoto, M.M., Fernanado  
    Cardenal,S.J.,(Ernesto Cardenal), Ulier, O.F.M., C.Jerez,S.J., Alvaro Arguello,S.J.,
    Msgr. José Medano,S.J., P.Rafael,O.P.等 進歩派指導者の面々と会う。
 

小生も参加し、“ニカラグアの国民と教会に平和を”と祈る。正午のミサと全く同じ意向だ。
典礼はキチンとしているが、雰囲気は情熱的、政治的…、それに祭壇を占拠せんばかりのカメラマンの大群。Gonzalo君によれば参加者の70%は外人だろうとのこと。


19:00−19:40 ミサ後別棟に席を移て M.D'Escoto 師の断食宣言、国家主権の尊厳と米軍侵攻の危機を中心とするがこれも必要なのだろう。… Gonzalo君と一緒に夜道を歩いて帰る。これから彼はどんな道を辿るのだろう。夕食を終えた頃、TVは民族舞踊を流してくれた。動乱の地、最後の夕べの複雑な気持ちを知ってか知らずにか…。後、老宣教師 Vicente師の“ニカラグアに自由を”との最後の訴えを聴く。荷造りを少ししただけなのに早や 23:20 …。
 

   


7月8日(月)

   5:10 起床、5:30 一人でミサ、“ニカラグアに平和を、教会に一致を”と心から祈る。
Azufro師のオンボロ車で空港へ。別れるにあたって初めて彼は、皆はこう言っているとの形で、現状について厳しい見解をのぞかせる。しかし我々宣教師は社会でも教会でも十分な発言は出来ないのだ、とも。その心はよく解る。9:30 離陸、Copa航空で CastaRicaに向う。Cokeが出る。この一杯はニカラグアでは考えられなかったこと。
10:00 San Jose着、小さなバラックも認められるが赤い屋根の家々は美しい。一人当り GNPもここでは1430ドルある(ニカラグアは 920ドルとなっているが…)。25分後再び離陸、11:15 Panama City着、Colectivoで“宿舎”Santuario Nacionalへ向う。市内に限られたこととはいうが何と繁栄! 資本主義の国は本当に豊かなのか…。そのような外観を呈しているだけなのか…。ローマは母校 Propaganda Fideで教会法を教えておられた Ting Pong Lee教授のこまやかなお世話に与かる。18:15 夕食にはユカと特大のマンゴ、乾き切っていたためか今日は Canadian Dryを3本戴いた、なのに未だ乾く。食後TVでコスタリカの民族舞踊を皆で楽しむ。彼の地に行けなかった償いの気持ちも。フランス舞踊の影響が強いとの解説。…22:00 からかなりの腹痛と下痢、覚悟はしていたがやはりつらい…。23:30就寝。
 

 


7月9日(火)

  
     
Ting Pong Lee教授とA.Luisの車で
パナマ運河見学…
…世紀の偉業は率直に賛えねば。
別室で解説映画を見る
向うには Exclusive Zone.
また、その向うにはフリゲート艦が…

   6:40 起床、 腹痛が少々尾をひいている。朝食にはタマゴとおいしいティを戴いた。
1時間ばかり休み、10:00から Miraflores 関関付近のパナマ運河見学、メキシコ市でお会いした国連大学副学長の武者小路先生には第二パナマ運河の政治的意味合いについて伺ったが、世紀の偉業は率直に讃えねば…。解説映画を冷房のきいた別室で見る。入口にインディオの織物売り、向うには Exclusive Zoneも認められ、ズッと向うにはアメリカのフリーゲート艦が浮かんでいる。鬱蒼たる熱帯樹林の広がる国立公園 Soberaniaにも連れて行って下さる。500年前スペイン人が切り拓いた道の彼方に現代人の住いがある 。 豪邸もあれば、また、バラック様の住居も多い。でもメキシコよりはズットよい。あす訪ねるダリエン地方は如何なるものか。心配していたのに昼食はかなり食べられた。ヨゼフ会のシスター方の心づくしの薬のお蔭か…。14:40 Caritas Panamaの Carlos Lee氏の来訪、状況解説、弱っている時に向うから訪ねて貰えるのは実に有難い… その後 Lee教授に連れられ、Tourisut Office、写真屋、郵便局、そしてダリエン行きの品を整えにスーパーへ。夕食前、熱いお湯でシャワーと洗濯、熱いお湯を十分使えるとは何と有難いこと。夕食はほぼ平常なみ、しかし気をつけねば…。22:00 就寝。
 

 
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