西 山 俊 彦

   
  

 
 8月4日(日)
 


   
   本学イスパニア文学科におられた
   R.べラスコ先生とマドリッド大近くの街角で。
   17年ぶりとあってか最初はお姿を判じかねた…

 

 

    

 

 夕涼み前の一浴びとは何という贅沢だろう。
 お湯のたっぷり使える生活、いや水を必要なだけ使える生活とは何と恵まれたことだろう。
 1ヵ月以上にわたる中米・カリブ海諸国巡礼の旅で生野菜をほおばり安心して生水をゴクゴクやった
 のはアメリカと Commonwealthをなしているプエルト・リコぐらいのもの。 
 しかも熱暑たぎる国々に於いてである。

 ジャマイカで海水浴に連れて行って貰ったときの有難さは格別だった。
 ハイチではドブで体を洗っている人々をさえ正視しなければならなかった。
 汚物一杯、臭気でいたたまれないそのドブで…。まさに人間の生きる環境ではない。
 生活用水がそうなら、農業・工業用水は推して知るべし。
 電燈、食べもの、仕事、学校、病院・衛生施設、産業、… おしなべてないないづくしの実態は
 痛みなしには正視できるものではない。
 
 日記にも一部記したように、パナマはダリエン地方で晩遅くまで学校に生徒がいるのを感心したら
 翌朝早く登校するのにまた感心…。
 実は3部授業をやっていたのだ。パナマだけではない。各国に共通した問題の一つである。
 しかもその“義務教育”さえ完うできるのは一部ときている。
 各国訪問に当っては必ず世銀の最新統計を確認した。就学率一つをとってもこのような状態だから、
 人口、GNP、インフレ、識字・就学率等々、全く疑問視せざるを得ない。… 
 思うことも自由に表現できない社会・国家も多かった。
 政権の左右を問わずカトリック教会は弾圧の対象となっていた。
 責任者には苦悩の色がありありと表れていた。
 名前一つ名乗り難い緊張の下に渦中の人々に会いインタビューを繰返すことは心苦しかった。
 しかし概して進んで真実を語って下さった。そのために迷惑のかからぬことをいのってやまない。
 ワシントンの Center of Concern、
 ニューヨークの World Policy Institute、
 ルーヴァン大学政治学部 International Relations and Peace Research Center、
 インド・Varanasiの Gandhian Institute of Studies、
 その他大学、団体、研究所等々の多大のご好意に与かった。
 宿舎、トランスポーテーションを提供しこまやかな心遣いを戴いた各地の教会、修道会、宣教会関係者に 
 心から御礼申し上げたい。
 各地の日本大使館・領事館、ヴァチカン大使館・代表部には大変なお導きとご支援に与かった。
 カトリック・プロテスタントを問わず、仏教、ユダヤ教関係者にも数々のご好意に与かった。
 これら全ての兄弟姉妹に心からの感謝を申述べたい。
 戸惑い、迷惑にも事欠かなかった。
 出会いのときめき、再会のうれしさの中に、あるいは変わりはて、あるいは見事な変態をも見とどけざる
 を得なかった。
 国情の違い、習慣、表現の相違の中にも、友情の温かみと人情のこまやかさ、
 そして誰しもが抱いている絶大な善意と平和への望みを一貫して確認できたことは最大の収穫だった。
 しかし、人ひとりひとり、いや国家さえもが時代と社会の狭間にただよい、国際情勢に左右される木の葉
 のような存在であることも認めざるを得なかった。
 この痛み、この空しさをどこに持って行けばよいのだろうか。
 バラ色の明日を常に約してくれる政治家にブッツケるのが常道だろう。
 なぜなら政治家とは人間の限りない欲望を夢と幻想で充たしてくれる快い存在だから…。
 たとえ彼らが真実を知っていたとしても、我々主権者の意に逆らって発言し舵取りすることなど不可能な
 ことぐらい明々白々にもかかわらず…。

 全てのものに値があることを今一度心したく思う。
 平和にも値があることを。
 平和を口にしながらその代償を拒み続けるならば、お題目というより戯言であろう。
 しかしその代償、犠牲は全ての人が担い、全ての人を救うものとならなければ…。
 誰かが除外されているなら無理と不満が残り、そこに平和はない。
 分担が公平であると認められ、それが有効なものであると納得できるものであれば、たとえ快くない値で
 あっても少々の犠牲は甘んじるものと思う。
 互いに善意と実行を期待し信じることができる。
 世界大の意識化と実践、平和への巡礼は、途方もない課題であると同時に、
 各自の尊厳を問い人類の命運を賭けた課題である。

 4月から5月へと若葉から色濃き緑へと春深まりゆくアメリカの首都ワシントンの CARA、
 そこでのほととぎすの啼き声は耳を離れない。
 7月の夜半、ベネズエラはカラカスの教会の中庭に巣くツァパトの夜を徹した歓迎は
 今も心に滲みている。
 コロンビアは Barranquillaを離れ Maracaiboに向う機の眼前に現れた夕陽に映える
  Monte Martha(5775m)のあの雄姿は何を我々に語っているのか。
 7月29〜30日、ハバナよりマドリッドに向かう月夜の何と幻想的なこと、十五夜だったのだろうか、
 雲の変化にキラメク月光、…、月が、そして星々が、こんなに大きく、こんなに明るく思えたのは初めて
 のことだった。…
 人の心、雪・月・星の心、みんなみんな温かくきらめくことができるのだ。
 この地球には何という贅沢があることだろう。これを認め、大きく大きく全世界の全ての兄弟のものとし
 て行かなければ… 
 仮令、人類最大の課題であったとしても、いやであるからこそ、……。
 

 
 
 
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