市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾

                              
西 山 俊 彦

            「外部性」とか「収穫逓増」のような「市場の失敗」は「市場メカニズム」を
     害し、効率性に逆行すると指摘しましたが、もう少し説明すれば ・・・
      
                      
 
−グローバル・スタンダードの普遍性 (10) ー          

       

 大阪カトリック正義と平和協議会『いんふぉめぃしょん』No.136、 2000.12.20、 4-5頁。

           

 「市場メカニズム」が効率的であるためには「完全競争原理」が成立していなければならないことを前々回に指摘し、前回には「市場の失敗」がある限り「完全競争原理」は成立しないことを指摘しました。市場参加者の誰もが「価格受容者であり、完全な情報を有し、資源移動に制約があってはならない」訳ですが、このような想定と現実の営みとは正反対と言っていい位です ―
 [外部性] 魚を水槽という閉じた環境で飼うためには、温度、光、酸素、餌と排泄物等々、全要素のバランスを一定に保たねばなりません。経済活動の場合はどうでしょうか。「原料を買い、賃金を払い、製品をつくり、市場で売る」(1) のですが、同時に「工場からは粉塵騒音を出し、環境を汚染し、資源を枯渇させ」(1) ます。しかしこれらのマイナスの結果は、市場メカニズムの外側(外部経済)の問題として無視され続け、収支バランス(内部経済)の対象とされてきませんでした。公害とか汚染などはマイナスに寄与する「外部不(負)経済」の代表ですが、プラスに寄与する「外部経済」も少なくありません。「規模・集積」とか「公共財」の効果が顕著な「都市」はその典型で、
  「   ・・・ 企業なり個人なりが ・・・ 一定地域内の企業数や産業の規模の拡大などによって需要が増加し
 たり、交通機関や道路が整備されるように、自らの努力によらず、技術とか産業とか社会全般の発展の
 効果」(2)
のような(社会的・公共的・技術的・産業的 ・・・ )「外部経済」を取り込むことは、利潤増大の大きな源泉です。
このように「外部不経済」を掃き捨てれば捨てるほど、そして、「外部経済」を取り込めば取り込むほど、各企業は利潤の極大化を達成しますが、この割合は実に莫大です。通常、「自然」の回復力の範囲内のものとして未払いのまま留めおかれている「自然の経済価値」は、米国はメリーランド大学の R.コスタンサ教授の試算によれば、年間、     

(食糧生産・廃棄物分解・酸素供給)

21.0  兆ドル

 

 

 

 

森林

(気候安定・災害防止・材木供給・貯水)

 4.7  兆ドル

川湖沼

(淡水供給・排水浄化)

 6.5  兆ドル

農地

(昆虫授粉)

 0.1  兆ドル

                        合計   33(36)兆ドル(3) 3600兆円

に上ります。“自然の供与している”外部経済、年間36兆ドル、は1998年の世界総生産(GWP)、40兆5000億ドル、にほぼ匹敵する額で、この他にも社会的、文化的、技術的、産業的 ・・・なものもあるとすれば、内部経済よりも外部経済の方が格段に大きく、それらを未払いのままに収奪している者としていない者との格差が広がるのは当然です。(4) しかし、水槽の中で魚を飼う時に許されないことが、なぜ経済行為の場合は許されるのでしょう ― 地球環境・人間社会とて同じ閉じた環境であるにも拘らず ― そして各企業にとってプラスとに見えることは、全体としては破壊と汚染の大変なマイナスとなっているにも拘らず ―(5)。  伊藤光晴は次のように結論づけています ―「市場の自由な競争メカニズムが信頼できるのは、
(1) 外部負経済が存在せず、(2) 外部経済が社会に比較的平等に利用されている場合」(6) だけであると ―。 [収穫逓増] これも「完全競争原理」に逆行します。従来経済学のテキストでは「規制を緩和すれば独占や寡占がなくなり、市場競争が活性化される」(7)  と言われてきました。そ
れは、組織の巨大化と複雑化は「硬直性、顧客無視、官僚制、高い間接費などの非効率の源泉となって」(8)「収穫逓減の法則」が働き、「そのために複数個の企業が市場を分け合うことになって」(9) 競争市場が保たれるというものです。ところがこれはモノの生産を主とする「工業化社会」での事であり、サービス化、情報化、金融経済の肥大化、投機化、省資源化という「経済のソフト化」(10) の進展した「ポスト工業化社会」では「限界費用の逓減(収穫逓増)」がとって代わります。なぜなら「開発済みのコンピューター・ソフトの限界費用は、ほとんどゼロに等し(フロッピーと多少の手間賃)く、 ・・・ 平均費用は限りなく逓減して」(11)「その結果、市場競争が『一人勝ち』に終わる公算が高まり、企業間の収益格差が、そして個人間の所得格差が際限なく高まることになります。」(12) ソフト開発にこれを見れば、「 ・・・ 多くのソフトがウィンドウズというOS にしたがって開発され、顧客も同様に選択してしまえば ・・・ OS とネットワークを持たない企業は市場では生き残れないので、それを持つ企業と提携するか吸収合併されて行かざるをえません。 ・・・ 現代サービス産業における規制緩和は、グローバルなレベルで独占や寡占を促進してゆき」(13) ます。「工業化社会においては、収穫逓減の法則のおかげで、自由競争の結果、複数個の企業が市場を分け合うことになる。・・・ 工業化社会における自由競争の勝者は一社ではなく複数者いた。ところが、ポスト工業化社会における自由競争は、たった一人の勝者、そして無数の敗者を生み出しかねない。・・・ げに恐ろしい社会なのである。1998年5月6日に発表されたダイムラー・ベンツとクライスラーの合併は、自動車業界にも収穫逓増の荒波が押し寄せた

                                       シキタリ
ことを意味してい」(14) ました。「ビッグ・イート・スモール、大が小を飲む」と言う従来の慣習に代わっ

て「ファースト・イート・スロー、早い者は遅いものを食べてしまう」或いは「ウィナー・テイクス・オール、勝者がすべてを取る」(15) という原則が罷り通る
  「経済のポスト工業化に伴い、収穫逓増すなわち『勝者はますます強くなり、敗者は死滅を余儀なく
 される』という。弱肉強食の法則が支配的となることを見落としてはなりません」。(16)
A.スミスがその昔に描いた「分業による効率化と公正さの実現」という
  「工業化社会における普遍的な『真理』はもはや過去の遺物と化してしまった」(17)
ことは、理論的にも実際的にも明らかなところです。

 

【註】

(1)

 

伊藤光晴「日本の都市問題と現代資本主義」、伊藤光晴他編『現代都市政策』T、岩波書店、1972、p.38。

(2)

 

伊藤光晴「前掲論文」、p.37。

(3)

 

R.Costanza et al., “The Value of the World's Ecosystem Services and Natural Capital.” 
Nature,
15 May 1997. 但し、L.ブラウン(L.Brown 編『地球環境データブック 2000-2001』家の光協会、
2000、p.80)は1998年時価で36兆ドルと換算している。 

(4)

 

「外部経済の収奪」は経済的収支バランスを合わせる以上の深刻な問題を孕んでいます。なぜなら2050年に100憶となる
世界人口がアメリカ人なみに自動車を所有するとすれば、50億台となり、現在の石油生産量1日6700万バレルの5.4倍の
3億6000万バレルを必要としますし、同じ100億人がアメリカ人なみの食生活をすることは、地球が4つ以上なければでき
ない相談です。最早この事態は支払い可能性の如何をこえた倫理危機と言わねばなりません。
L.R.ブラウン編『地球白書 1999-2000』ダイアモンド社、1999、p.25。

(5)

 

西山俊彦「持続可能な開発原理の二律背反性と普遍的秩序(平和)構築原理としての不可欠性」
『平和研究』第21号、1996、pp.35-46。

(6)

 

伊藤光晴「前掲論文」、p.39。

(7)

 

金子勝『反グローバリズム』岩波書店、1999、p.41。

(8)

 

佐和隆光『漂流する資本主義』ダイヤモンド社、1999、p.110。

(9)

 

佐和隆光『前掲書』、p.14。

(10)

 

佐和隆光『資本主義の再定義』岩波書店、1995、p.46。

(11)

 

佐和隆光『前掲書』、1999、p. 47。

(12)

 

佐和隆光『前掲書』、1999、p.239。

(13)

 

金子勝『前掲書』、p.41。

(14)

 

佐和隆光『前掲書』、1999、pp.14-15。

(15)

 

竹中平蔵『早いものが勝つ経済』PHP研究所、1998、pp.22-26。

(16)

  

佐和隆光『前掲書』、1999、p.14。

(17)  

佐和隆光『前掲書』、1999、p.110。

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