市場原理主義にみる「グローバリゼーション」の矛盾

                              
西 山 俊 彦

   

                世は「市場原理主義」の大合唱ですが、一体それはどんな裏付けを
           持っているというのでしょうか?
       ーグローバル・スタンダードの普遍性 (7) −              

 

 大阪カトリック正義と平和協議会『いんふぉめぃしょん』No.133、 2000.9.20、 4-5頁。

           

 これ迄8回にわたって、現行資本主義体制の基準とも血液ともみなされるドル基軸体制がグローバル・スタンダード -GS- とは縁遠いものであることを見てきました。GSとは「フェア(公正)」「オープン(操作と無縁)」「グローバル(誰をも排除したり、優遇しない)」原則です。(1) とすれば他は推して知るべしとして検討の余地もないはずですが、それでは現行資本主義体制の一層の矛盾は見えてきません。今暫く検討しなければならない理由です。
 「市場原理」に経済運営を委ねる「市場原理主義 Market Domineering Capitalism」が「効率性 effi- ciency」の基準(2) に合っているかどうかは、「歴史(事実)的 - 論理(理論)的」「比較(相対)的 - 独自(絶対)的」検討の2様に見られます。 今回は「歴史的事実」として「比較的」に、次回以降は「理論的」に「それ自体」として検討することにいたします。

 社会主義の崩壊   ついこの間迄世界を
二分していた「冷戦」を経済社会的に表せば
「『社会主義(国家計画経済)』と『新古典派
資本主義(市場原理主義)』という、二つの両
極端な進歩主義の戦いだったといわれます。
どちらのイデオロギーも、物質的な豊かさを
急進させ、公平に分配することが目的でしたが、 (その)達成手段として、社会主義は国家計画を、新古典派資本主義は市場を選びました。」(3)  ところが「ベルリンの壁の崩壊」(1989・11)「東西ドイツの統一」(1990・10) 

「ソ連邦の崩壊」(1991・12)に象徴される「『社会主義の崩壊』は『資本主義の勝利』に短絡され、資本主
義ないし市場主義が絶対視されるようにな」(4) って、国家の財政介入による需要喚起を実行してきた社会改良主義(ケインジアン)的政策をも排除して、(5) 「わが国のエコノミストもジャーナリストもこぞって市場万能の大合唱に参加しました。(6)「それ以来、民営化、・・・ 規制緩和、経済構造改革、金融ビッグバンなどの活字が、新聞紙上を賑わし続けてい」(6) ます。このような大合唱は、たとえ「社会主義の崩壊」はその「非効率性」の何らかの証拠とはなり得ても、「資本主義の効率性」の証拠とは、通常、なり得ないという、論理上の初歩的錯誤の仕業です。
 経済大国日本」の事例  それでは「資本主義」の「効率性」の事実はないのかとなると、先ず挙げられるのが「経済大国日本」の事例です。敗戦で廃燼となったその経済社会は、1956年には「もはや戦後ではない」という迄に回復し、1968年にはGNPが自由世界第二位の国になりました。一人当たりGNPがアメリカを抜いたのが1987年、スイスとルクセンブルグを抜いて世界一になったのが1994年のことでした。これは日本が特別の幸運に恵まれたからとか、(7) 「日米安保(ただ乗り)」のお陰とか(8) 言われますが、「日本の経済大国化」は日本の地位向上を示すものではあっても、資本主義自体の効率性を示すものではありません。
 成長格差  それでは「1978年から1988年にかけての実質経済成長率は、アメリカが平均年率2.6%、日本が4.2%であったのに対し、旧ソ連は平均年率1.7%にすぎなかった」とか「数量的な“豊かさ”で比較するかぎり、社会主義諸国の劣勢は覆うべくもなかった」(9) とかの事実から、 「市場原理の効率性」が実証されているのではないか、との反論に対しては、それは不況・恐慌のたびに政府が財政出動を行って
「セーフティ・ネット」を整備して支えた「社会民主」的施策の結果であるとか、社会主義・共産主義との対峙の過程で資本主義が自己変革を重ねて行った結果であると言わねばなりません。いずれにしても、社会主義諸国の近代化・工業化のスタートラインは市場原理主義諸国にはるかに遅れをとった上に、社会主義的発展も弱肉強食を基調とする「資本主義のグローバル化の進行過程に展開した」(10)   のであれば、後発国・途上国としての数々のハンディを背負っていた訳で、「社会主義の崩壊」と「市場原理主義の勝利」の両歴史的事実が、前者の「非効率性」と後者の「効率性」として等値できないのは明らかです。デリバティブ取引で一躍名を馳せたとされるジョージ・ソロスもこの点では明瞭です ―
  「原理主義者の信仰の大きな特徴は、二者択一の判断に依拠することだ。ある命題が間違っているとす
 れば、その反対が正しいと主張する。この論理的矛盾が、市場原理主義の中核をなしている。経済への
 国家介入はすべてマイナスの結果を生んできた。中央計画経済はいうにおよばず、福祉国家も、ケイン
 ズ経済学の需要管理もそうだった。この平凡な観察から、市場原理主義者はまったく非論理的な結論へ
 と飛躍する。国家介入が間違っているなら、では自由市場こそ充全であるにちがいない、 ・・・ というの
 である。 ・・・」(11)

【註】

(1)

 

金子勝『反グローバリズム』岩波書店、1999、pp.94-99。

(2)

 

「経済政策の目標である『効率』と『公平』の実現」(佐和隆光『資本主義の再定義』岩波書店、1995、p.69)の内、
先ず、前者について検討し、その上で後者についても考えることにします。

(3)

 

榊原英資『市場原理主義の終焉』PHP研究所、1999、p.139。

(4)

 

佐和隆光『環流する資本主義』ダイアモンド社、1999、p.20。

(5)

 

それにもかかわらず、1999年4月現在、EU15ヵ国中、アイルランドとスペインを除いて、社会民主主義勢力が政権に
就いているのは「市場の暴力が民主主義を踏みにじることへの、人々の恐れと怒りを表しているのでは」と解説されます。
佐和隆光『前掲書』1999、pp.251、8 ; 同『前掲書』1995、pp.190-191。

(6)

 

佐和隆光『前掲書』1999、p.10。

(7)

 

「歴史的に見て並外れた豊かさを実現した国々は対外依存度が並外れて高かったということである。・・・」
高橋洋児『市場システムを越えて』中央公論社、1996、p.23。

(8)

 

室山義正『日米安保体制上・下』有斐閣、1992 ; 高橋洋児『前掲書』pp.75-76 ; 257-258。

(9)

 

佐和隆光『前掲書』1995、p.68。

(10)

 

高橋洋児『前掲書』p.18。

(11)

 

G.ソロス『グローバル資本主義の危機』日本経済新聞社、1999、p.199。

(12)  

金子勝『前掲書』1999、p.14。

TOP

INDEX
(全体)

INDEXへ
(GS)